Amitostigma’s blog

野生蘭と沖縄の植物

オキナワチドリの枯らし方(その5)

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 沖縄本島北部、オキナワチドリ自生地。

 定点観察に行ってみたら、未開花の実生がかろうじて数本残っていたが、開花株は一本も見当たらなかった。

 まあ「お前の自作自演だろ?」と言われても否定する材料は何も無い。いずれにしてもこういう事例がある以上、野生型のオキナワチドリを育てていると盗掘品を持っていると思われてしまう。「自分は違う」と主張しても、それを判断するのは他人である。交配育種して作った園芸系統でなければそういう疑いは払拭されない。

 沖縄の某展示会で、実名を晒して盗掘植えつけ鉢(作り込み品ではないのが一目で判る)を堂々と出品なさっておられた神経の太い方がいらっしゃったが、あの花は3年後に残っているのだろうか。

オキナワチドリの枯らし方講座を続ける。

 

8・個体差を考慮しない

 オキナワチドリには個体差というものがある。同じように育てていても、丈夫で毎年良く殖える個体と、虚弱で生かしておくのがやっとの個体がある。ネットで検索していて「何年も育てていますが栽培は簡単です」という説明がついているのは、おそらく前者。

 古くから栽培品として残っている個体の多くは奄美系で、低温耐性があって繁殖が旺盛な個体だけが生き残って増殖されている。そういう個体は雑に管理しても普通に殖えるし花も咲くが、そういう個体を基準にオキナワチドリの栽培を語るのはいかがなものか。加えて枯らした人はだいたい黙っているので、ネットにはほぼ成功談しか出てこない。いわゆる生存者バイアスである。

 「ランを育てるのは初めてだったのですけど、オキナワチドリの花を無事咲かせることができました」と喜んでいる方の多くは、さんざん説明してきたアレである。栽培歴数年以内の方の経験談はあてにならないのだが、知らない人が見ると素人でも育てられるくらい簡単なんだなーと思ってしまう。うん、チューリップって栽培簡単だよねー的な。

 きちんと育てたいならば、丈夫な品種を入手すべきなのは言うまでもない。野生個体でも栽培品として長く残っているものには淘汰選別済の丈夫な個体もあるが、平均としては交配実生のほうが丈夫な個体が多い。少なくとも沖縄産の山採りは初心者にはお薦めできない。

 ・・とは言っても交配実生はほとんど流通していない。ヤ◯オクでも年に数回出品される程度で、最近の交配品種はほとんど売りに出てこない。扱っている業者はあるのだが、ネット嫌いで店頭販売が中心だったり、儲けが薄いので積極的に販売していなかったりする。それらしい業者に直接電話をかけ、在庫確認する必要があるので購入するにも敷居が高い。検索すると山採り通販業者のホームページが先に出てきて、そちらでポチる人のほうが多そうだ。

 まあ管理人の経験上は、栽培欲を満たせれば品種なんかどうでもいいという人のほうが多いようではある。長期栽培も最初から考えておらず、栽培体験を楽しんだら満足して育てられもしない草友にあげてしまう。そうやって盗掘個体や、栽培者がほとんどいない希少品種が次々と消費されていく。

 が、考えてみれば園芸というのはもともとそういう娯楽だ。花が咲いている間だけ飾って楽しみ、気が済んだら処分する。庭植えで放任栽培できる樹木系は別として、鉢物というのは一般の感覚ではただの消耗品である。きちんと栽培しろと騒ぐほうが間違っている。

 「どうやったら育てられるんですか~~?」とか聞かれたとしても、親切のつもりで栽培方法を語ったりすると「腐れヲタクは一方的な知識マウントをコミュニケーションだと勘違いしていて痛い」と言われるので注意を要する。

 定型者が求めている「栽培情報」とは「他人が何に興味を持ち、何をしているかの情報」である。つまり栽培そのものにはそれほど興味はなく、それに関わる人間の行動を知りたがってい。誰がどういう植物を持っているか、それが他人にどう評価されるのかという話はしても良いが、植物の性質を語るのは無意味、あるいは迷惑がられる話題である

 誰かが育ててみたいと言ったとしても、それは栽培者の真似をすることで友好的に交流したいという社交辞令である。相手が(あるいはあなたが)何を目的としているのか勘違いしてはいけない。

 集団内で成功するには「他人の噂を集め、皆の背景を知って、好き嫌いを把握する」のが楽しい ーー 24時間365日、人間が興味対象になっている人のほうが有利である。ヒトよりもモノやコトに興味が向いてしまうと対人情報を探す時間が減って、社会不適合者になっていく。

 定型者にとって最も重要なのは群れに帰属することであり、他人の共感を得られないタイプの「こだわり」や「思い入れ」を持つと周りから浮いてしまう。一般社会で必要なのは「ファッション」である。手に入れた衣服が他人からどう評価されるかは重要だが、服飾史や制作技術まで知る必要はない。他人に見せるキラキラした園芸活動は好むが、植物自体に対する知見は求めていない。

 あなた自身が定型的な価値観なのか、それとも社会に不向きな人なのか、その立ち位置はよく自覚しておいたほうが良い。

 

9・休眠したあと存在を忘れる

 オキナワチドリは晩春になると葉が黄変枯死し、地下の球根のみで越夏する。球根がもともと小さく軟質なので、休眠中に水やりを忘れて完全に乾燥させてしまうと干物になる。かといって水をやりすぎると蒸れて腐ってしまう。運が良ければ屋外放置で雨にあたっているだけで偶然に夏越しに成功することもあるが、そのまま植え替えないで二年目の花を咲かせてしまったら、もう手遅れである。

 鉢植えのまま涼しい日陰に移して越夏させるのが良いか、それとも鉢をあけて球根をひろいあげ半乾きのミズゴケなどと一緒にチャック付きポリ袋などに入れて保管しておくのが良いのか。どの程度まで水を与えるのがベストなのか最適解については一概には言えず、いろいろ工夫して試してみる必要がある。(たまに冷蔵庫に入れたという方がいるが、温度が下がると活動を再開する植物を休眠期に冷やしてどうする)

 この時期に存在を忘れてしまってそのまま枯らしてしまう方も多いようだが、あまりにも初歩的な失敗なので黙して語られないことが多く、発生率については定かではない。まあほとんどの方は、わけのわからない管理を何年も愚直に続けていくほどの思い入れを持てないだろう。というか、定型者なら持たないように生まれついているはずである。

 結論としてオキナワチドリは既知外 相当に育てる人を選ぶ。栽培技術よりも育てる人の異常度 性格が長期栽培できるかどうかを決めている。

 野生蘭マニアは一度ぐらい育ててみるようだが、10年以上も育て続けている例は100人に1人いるかどうかという印象だ。むしろ中途半端に栽培知識のあるベテランのほうが舐めてかかって衰弱死させている感すらある。

 希少なランを栽培下で保全します?・・能書きだけの虚言は聞いていて虚しい。地生蘭としてはむしろ維持しやすいオキナワチドリですら次世代まで残せない栽培者に、何ができる? 

 野生種の遺伝子保全には同じ個体群から十株単位で系統保存する必要があるが、同じにしか見えない野生並花に個体番号をつけて、系統管理している趣味家がどこにいる?

 特定個体群から個体寿命に限界のある1個体(ウイルス感染などがあるので耐病性が低い種類だと永続的には栽培できない)だけ抜いてきて、それが保全になるとでも?(実生更新は別株と交配しないと、近親交配で世代を重ねるほど弱化してきてそのうち絶える)

 結局のところ、ほとんどのランは栽培しても命の消費しかできない。自生地が消滅しつづけていても、法に触れなければ(極限状況になって「種(しゅ)の保存法」などで規制がかかるまでは)消費栽培を止める手段は存在しない。

 規制されていてもバレなきゃいい、非規制種なら山採りでもいい、商業生産品なら良し、いや難しいものはやめておこう・・是非の基準は栽培者によって違うだろう。その線引きは各自のご判断におまかせするしかない。

 最後になるが、今回の一連の記事では栽培時の諸条件、たとえば生育中の潅水については詳しく触れていない。無菌播種、植物組織培養、ラン菌共生培養、遺伝子解析などの技法や参考文献、外注委託先・・本気で入れ込むなら知っておくべき情報は山のようにあるが、そういう「育て方」はここでは一切語らないでおく。自分の作場の最適解をまだ見つけていない方に、他人の答えを見せても惑わすだけだろうから。

(関連記事は最上段タグ「オキナワチドリの栽培」をクリックしてください)

オキナワチドリの枯らし方(その4)

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 販売されているオキナワチドリ。沖縄本島内の某ガーデンセンターにて。

 平鉢に赤土(そのへんで掘ってきた)で植え、表面に苔(そのへんで剥いできた)を張り付けてある。植え方が適当で、植物が傾いて根が露出している。草姿から推察して、作りこみ品ではなく山採り個体を当年に植えつけたものだと思われる。生長点にたまった水から腐敗がおきはじめて黒くなっている。

 沖縄本島内で販売されているオキナワチドリはこういうのが普通である。オキナワチドリに限らず、流通している沖縄産の植物の山採り率はきわめて高い。というより増殖業者がいないのではあるまいか。

 オキナワチドリの場合、本土の業者から園芸選抜個体を卸買いして転売することも可能なはずなのだが、球根からきっちり育成して花卉として通用する鉢物に仕立てあげるスキルのある業者は全国的に見ても数える程度だろう。というか、オキナワチドリは開花まで時間がかかるのに値段は安く、真面目に育てて出荷すると赤字になる。そのため一般園芸店にあまり流通しない。

 こういう雑な鉢植えを植え替えもせず、無肥料で管理しても数年程度であれば生かしておくことは(沖縄であれば)十分可能だ。まあ普通の人だと休眠したら管理をやめて放置してしまうので、夏の間に干物になってしまうのだが。

オキナワチドリの枯らし方講座を続ける。

 

6・大きな鉢にまとめて植える

 真面目に世話すれば、「丈夫な品種であれば」年に2倍程度に殖える。順調にいけば3球程度から始めて3年後には20球を超える。オキナワチドリは地面に葉を広げて育つので、小さいわりに生育面積を必要とする。4号鉢程度だと20球植え付けるのは厳しいので5号以上。根の深さはそれほど深くないので盆栽用の平鉢を使う・・

・・まあ、それも間違いではない。実際に100球まとめて大きな平鉢に植え、上手に育てておられる方もいないことはない。が、これは初心者に勧められる育て方ではない。

 極端に小さい鉢だと用土の乾湿変化が激しすぎて、水切れで枯らす危険性が高い。だったら大きい鉢のほうが鉢内の水分が安定して良いのか、と言うとそうでもない。あまり大きな鉢にすると過湿になった時にいつまでも過湿状態が続いてしまう。水切れの危険性は減るが腐って駄目になる危険性が小鉢に比べて著しく高くなる。大きい鉢に密植すると中心部の通気が悪くなるので、これまた腐敗の危険性が大幅にアップする。

 小鉢の時には順調に育っていたのに、大鉢に変えたらまるごと腐って全滅。チドリ類の栽培者が一度はやらかす初歩的な失敗である。

 また、鉢土の表面は乾いているけれど鉢底に停滞水が溜まっていて鉢内全体で見ると過湿、という場合がある。鉢の高さが低いと鉢底の停滞水層の比率が相対的に多くなり、水分適正部分は普通の鉢より少なくなる。ガンガン吸水する盆栽や一般山野草では多少の水分差は誤差の範疇だが、ラン科のようなデリケートな水分管理が必要な植物では平鉢と普通の鉢、多肉植物用ロングポット(あと、オキナワチドリでは使わないが腰高の東洋蘭鉢)では用土量が同じであっても、鉢内の水分分布の違いが生育差となって現われてくる。

(余談だが、砂漠に生えて地下水脈まで根を伸ばす特殊な植物では、土管のような縦長鉢に植えて腰水にし、常時下から水分が上がってきて絶対に水切れにならない&それでいて上までは水が届かなくて株元はいつもカラカラ、という育て方をすることがある。そういうのは平鉢だと再現不可能な育て方だろう)

 大鉢と小鉢、平鉢と腰高鉢では灌水の最適解が異なる(同じ管理をしていると生育に違いが出てきて、最悪の場合どちらかが枯れる)というのは考えてみれば当たり前なのだが、入門者は言われないと気づかない。

 ベテラン栽培者の場合、意図せぬ水分が加わらぬように栽培場所に雨除けの屋根を作り、一鉢ごとに灌水の量と頻度を変え、作場の通気・送風を考慮し各鉢ごとの置き場所を工夫して乾く速度を調整し、腐敗予防の殺菌消毒も定期的に行う。彼らにとってその程度の管理は「常識」であって、栽培法として語る以前の基本技術である。そんな事は世間一般ではやらないのが普通、という事が判っていない。

 というか一般人はたとえ教えたとしても「その人の作場における最適解」に翻訳して落とし込むスキルは無い、という事に気づいてさえいない。

 そして何も知らない新規参入者は展示会などで見たベテランの大鉢植えを形だけ真似して(栽培管理は素人のままで)通過儀礼的に「大鉢植えで大失敗」をすることになる。

 順調に殖えてきた時には、殖えた分だけを別の鉢に移動し、もとから植えてある鉢にも必ず一部を残しておくこと。全部いっぺんに別の鉢に移すと、環境が変わって全滅することがある。まったく同じ鉢を用意し、2鉢に分けて保険的に栽培しておくのも良いだろう。

 

7・殺菌消毒をしない

 オキナワチドリは冬に生長するため害虫の発生は比較的少ないが、逆に言うと天敵となる益虫が不在なので温室内に害虫が入り込んだ場合、繁殖に歯止めがかからない。

 発生予防のため定期的に殺虫剤を散布するのも有効ではあるが、最近は農薬抵抗性の虫が増えているので薬散してもまったく効果が無い場合がある。特にアザミウマ類(スリップス)は薬剤抵抗性が年々上がってきている。そして温室内では年中無休で発生し、幼虫は半透明で目に見えないほど小さく、しかも人間の気配を感じると葉と茎の隙間に素早くもぐりこむので発見がきわめて困難。薬散したからと思って安心していると気がついた時には生長点が食いつぶされていて、もう手遅れだったりする。

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 上画像はアザミウマに食害されたオキナワチドリ。まだ被害が目視できないぐらいの初期に防除したが、すでに生長点にもぐりこんだ幼虫に新芽がかじられていて、数週間たってからこのような無惨な状態になった。

 アザミウマの場合、食害発生直後には何ともないように見えるから始末が悪い。食害部が枯れはじめて初めて被害の大きさに気付くが、その頃には親虫は他株に移動していて、いつのまにか増殖した仔虫が周囲に散っている。

 早期に防除して画像のように健全な葉が残ってくれれば小さいながら新球根ができるが、ものすごく作落ちする。対応が遅れた場合は新球根ができずにそのまま枯れてしまう。

 こういう症状を病気だと勘違いして抗菌剤を散布しても意味は無い。ちょろちょろと素早く動いて隙間に隠れる微細な虫が視界に入った時点で、無害そうに見えても、1匹だけだったとしても、絶対に見過ごしてはならない。

↓こちらがアザミウマの関連記事

 普通の植物であれば新芽をかじられても脇芽が出てきて回復するし、アザミウマも葉より花のほうを好むので花だけかじって満足している場合が多い。植物種によってはアザミウマが花粉を媒介して共存共栄関係だったりすることもあるらしい。

 しかしオキナワチドリの場合には1個しか無い(しかも再生しない)生長点が食害されるので被害は甚大。さらにウイルスまで媒介される。百害、いや万害あって一利も無い不倶戴天の大害虫である。発生が確認された場合はただちに有効な殺虫剤を作場全域に散布し、薬が効いて虫が実際に死滅していることを目視で確認せねばならない。(農業用捕食ダニの散布は少量栽培には応用しづらい)

 ちなみにオルトラン、スミチオン、モスピランなど昔からよく使われていた農薬は最近のアザミウマには無効になっている場合が多い。ある程度有効でも同一薬剤を連用するとどんどん耐性が上がってくる。

 多剤耐性アザミウマに侵入されると1ヶ月で数百倍に増殖し、最悪の場合オキナワチドリが棚ごと壊滅する。厳重に、しっかり、油断せず、念入りな監視と防除が必要。(追記。アザミウマは10℃以下になると活動が鈍るので本土で低温栽培している場合にはそれほど発生しない模様。むしろ夏緑性のサギソウなどの生長点がしばしば食害されるそうである)

 病害に関しても要注意。小苗を密植して通気が悪くなっている場合などに突如として一部が腐りはじめ、放置すると鉢内全部に広がって全滅する場合がある。これは発生初期に一刻も早く抗菌剤の散布や土壌灌注をする。アザミウマ食害と区別がつかない場合は抗菌剤と殺虫剤を混合して撒く。

 なお、使う薬の濃度や使用時期によっては薬害が出る場合がある。初めて使用する薬剤はあらかじめ部分的にテスト散布しておくのが望ましい。問題がなければ定期的に予防散布するのも効果的だが、同一薬剤の連用は耐性虫・耐性菌の発生をまねく。むやみな乱用もそれはそれで問題がある。

 雨よけして上からの灌水を避け、しっかり日照を与えて適切な通風を与え植物体を「締めて作る」ことで腐敗性の病気はある程度までは防除できる。鉢用土の表面が常時湿っていたり、有機肥料が葉に触れていたりするとそこから腐ってくることがあるが、早期に発見すれば日に当てて風通しを良くし、表土を適度に乾かすだけで腐敗進行を止められる「こともある」。

 いずれにしても対応策を知らなければ異常に対応できないが、小型野生ランは少しでも作落ちさせるとそのまま回復できずに消滅してしまう事が多い。異常や作落ちを発生させないよう先回りして管理するのが重要である。

 読めば読むほど面倒臭いって? ラン栽培とはそういう面倒臭い部分を愛でる変態クソゲー愛好家の趣味である。面倒臭いのがお嫌いな方は最初から手を出さないのが正解である。

 まあ、たまたま運が良ければ何も対策せず、対策方法も知らない状態で育てても何年かは何事もなく育つこともある。そのうち枯らして「今年は駄目になった」とかおっしゃる方が少なからずおられるが、それは「駄目になった」のではない。あなたが「駄目にした」のだ。

(続く)

*関連記事は最上段「オキナワチドリの栽培」タグをクリックしてください。

オキナワチドリの枯らし方(その3)

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山野草ミニ盆栽」誌、2018年陽春号(Vol.127)

休刊前のラストラン特集・野生ランを育てる①

・・良い雑誌だったが、出版不況には勝てなかったようだ・・

 

 東京ドームのラン展において、オキナワチドリで日本のラン部門第一位を受賞した谷亀高広氏が、「オキナワチドリ・ラン展受賞秘話&栽培法」という記事を品種解説・カラー写真入りで4ページ執筆されている。オキナワチドリに興味のある方はご一読をお奨めする。他の記事も資料的価値があるので、野生蘭マニアなら買って損はないと思う。

 以下、先日に続いてオキナワチドリの枯らし方講座。

 

5.オキナワチドリ専用の作場を用意しない

 オキナワチドリの栽培適温は、谷亀氏によると「夜間3℃、日中15~20℃」。日中は温度を上げてしっかりと生長・光合成させ、夜間はある程度まで温度を下げて栄養消費させないようにするのが理想的な栽培条件らしい。ずっと低温だと生育が遅れてジリ貧になり、ずっと高温だと生理障害をおこして早期に落葉休眠してしまうため同様にジリ貧になるという。

 沖縄本島の冬の気温は夜間15℃、日中20℃前後。那覇市内の場合、気象庁の記録を見ると2018年1月に最低気温が10℃以下になったのは2日だけだった。谷亀氏の情報からすれば温度が高すぎることになる。まあ、日中の気温が20℃を超えなければ栽培はできるのだろうが、沖縄が分布南限であることを考えれば生存ギリギリの気候ではあるのだろう。ちなみに分布北限である九州産の個体群は沖縄本島産よりも生育適温が低いようで、管理人の作場では高温障害と思われる症状が出てしまい、うまく育てられない。

 おそらく最低気温が3℃くらいで、日中が15℃くらいの地域なら何一つ工夫せずとも上手に育てられるのだろう。しかし残念ながら、日本にはそういう地域は屋久島の海岸付近ぐらいしか見当たらない。

 本州南部の太平洋側も似たような気候ではあるが、寒波が来れば氷点下になることもある。冬緑性の植物は、ある程度は保護しないと安定して越冬させるのは難しそうだ。分布北限が宮崎県であることからしても、それより北の地域では屋外では長期栽培は難があると考えるべきだろう。

 が、栽培者から情報を集めていると、関東地方あたりから「保護なんかしなくても屋外で冬を越します」という話が聞かれる。よく聞いてみるとこれまた例のパターン。つまり「充実した球根を植えれば、劣悪な環境でも花が咲くまでは育つ」というアレである。

 無加温でも元気に花を咲かせはするが、低温のため冬の間の新球根肥大が止まっている。開花後には急激な気温上昇で葉が枯れて作落ちする。「屋外でも栽培可能」は栽培情報としてガセ以外の何物でもないのだが、オキナワチドリは多少の凍結ぐらいなら即死はしないから「屋外でも冬は越せる」であれば嘘ではない。そういう話が一次情報として流布されているのを聞くと頭が痛くなる。

 別のパターンとしては「さすがに霜に当てたりするのは危険なので、最低でも3℃はキープしてください」と言ったら最低3℃、最高7~8℃の場所で育ててしまうケース。最低15℃、最高20℃でも一応は育てられるのと同様、最高温度が10℃に満たない環境でも育たなくはない。ただし最適条件ではないので生育はそれなりに悪くなる。病気や事故で「作落ち」させると回復できずに消滅コースである。

 結局のところ「夜間3℃、日中15~20℃の置き場を作ってそこで育てる」が最適解になるのだが、実際にやるとなるとあまり簡単ではない。沖縄では機械的に冷却しない限り10℃以下にできないし、本土では何らかの手段で加温しなければ降雪の日などに十分な温度が保てなくなる。

 とはいえ温度を下げるより上げるほうが簡単なので、そういう意味ではどちらかといえば本土のほうが栽培適地と言えなくもない。関東以南の市街地マンションでは真夏の高温でウチョウランやイワチドリが生育障害をおこすので、温度と光量が調整できればオキナワチドリのほうが栽培しやすいと聞いている。(最近はワンルームマンション在住で20℃以上の室内と氷点下のベランダしか置き場が無く、純熱帯植物か凍結植物しか育てられないのでオキナワチドリは無理、という方も多いようだが)

 本土の太平洋側で冬期の日照が十分に得られ、自宅にサンルームがあるのでほとんど温度調節しなくても最適温度が保てる、というような場合は栽培管理にあまり苦労しないと思う。日本海側や北向きの部屋だったとしても、最低温度が3℃以上という条件がクリアできれば栽培は可能。室内ビニール温室の中に熱帯魚用のLED照明をつるせば日照の問題は解決できるし、照明の発熱で日中15℃以上も容易に達成できる。

 自生地の沖縄であっても、屋外管理だと暴風や長雨で傷む事が多いので、完全室内栽培・LED補光のほうが安定した管理が可能になる。

 ただ、そういう設備を用意するにはそれなりに予算がかかる。時価500円程度のオキナワチドリを育てるために総額数万円の栽培設備を用意する、という人がどれだけいるだろうか。どちらかというと、お金などかけずに適当な置き場所でごまかそうとする人のほうが多いのではないか。温度に限った話ではなく、植え替えでも肥料でもこういう「手抜き精神」が出てしまうとオキナワチドリは長生きしない。

 オキナワチドリは100点評価で90点の管理をした場合、新球根の大きさは今年の90%に縮んでしまう。用土、温度、日照、肥料、植え替え、消毒殺菌、殺虫剤の予防散布、それらの最適条件の比較検討、適切な用品調達・・いろいろな管理が適当だと栽培成績は0.9X0.9X0.9・・と相乗的に悪くなる。

 市販の「草花の土」で植え付けてうまく育たずに首をひねっている方、どうしてその土を選んだ? 他にどういう用土があって、それぞれの長所と短所を言えるか? ウチョウランとイワチドリでは栽培方法が異なるが、灌水量を変えて同一用土で育てるスキルはあるか? 用土によって肥料の適正量が違うが、それを把握しているか?

 即答できないド素人は帰れ。あなたの経験値で、野生種に挑むのは10年早い。

 が、ベテランが真面目に育てても予期せぬトラブルはある。実際のところ減点ゼロは難しい。よって作上がりを目指す場合には手抜きの逆、金と時間と手間が120%のオーバードライブお手入れをして、どこかにマイナスがあっても総合成績が100点以上になるように管理する。これが長期栽培のコツである。

 うっかり作落ちさせてしまうと、植物の体力が落ちるため翌年の栽培はもっと難しくなる。栽培開始後3年目ぐらいまでは「そこまでしなくても育てられるし・・」と笑っていた人達が、5年目ぐらいを過ぎるとほとんど全員が無口になってくる。統計はとっていないが、体感的に10年生存率は驚くほど低い。

 にもかかわらず、野生蘭愛好家の間ではオキナワチドリは入門種、初心者が育てるランという位置づけになっている。球根を植えれば初年度は馬◯でも育てられるからだろう。ステータスとしては小学生がプランターに植えているチューリップと同列の扱いだ。

 だが、ちょっと考えてほしい。チューリップはオランダの業者が大量生産しているから消耗品扱いしても問題はないが、ああいう生育が遅くてウイルス耐性が皆無に近い植物を、日本国内できちんと長期維持できる園芸家が日本に何人いるだろうか。(耐病性があって長期栽培が難しくない種類もあるようなので一概には言えないけれど)平均的な栽培難易度で言えば、園芸種のチューリップはランに勝るとも劣らない難物である。

 もし種子から「完全栽培」をしてみろ、と言われたら、ウイルス防除をしながら開花株まで5年以上かけてきちんと育てあげられる園芸家はほとんどいないだろう。

「買ってきて花を咲かせる」と「栽培できる」の間には絶望的なほど深い谷が存在しているが、その事を誰一人として意識していない。それが世間一般で言う「園芸」の実態だ。誰かに苗を供給してもらわなければ持続できない、きわめて消費的な趣味である。

(続く)

*一連の記事を参照したい場合は、最上段のタグ「オキナワチドリの栽培」をクリックしてください

オキナワチドリの枯らし方(その2)

Amitostigma lepidum in habitat.

Higashi village, Okinawa island, Japan.2018

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 自生地のオキナワチドリ。この自生地ではもう数える程度の本数しか残っていない。

 沖縄本島では開発と植生遷移、台風による自生地攪乱などによって毎年のように自生地が消滅しつづけている。以前であれば問題にならなかった程度の採集圧も、今では自生地に最後のとどめをさす要因にランクアップしてしまった。それに加えてまともに育てられる人が(植物園も含めて)ほとんどおらず、採集されたほぼ全個体が消費的に栽培されている。現時点ですら県内にはまったくと言ってよいほど栽培品として残っていない。このままであれば、20年も経てば本島では野生・栽培を問わずオキナワチドリを見ることは不可能になっていると思う。

 さて、前回に続いてオキナワチドリの「枯らし方」をまとめておく。

3.肥料を与えない

 オキナワチドリは肥料に対する反応性が良い。肥料をどっさり与えると「翌年の」生長が露骨に良くなる。

 前回で書いたように、当年に吸収された養分は球根に蓄積されて、翌年になってから使われる(ように見える)。つまり、肥料をやってもやらなくても、その年の生育はそう極端には変わらない。充実した球根を植え付けていれば、どんな栽培をしてもその年は普通に花が咲く。「肥料なんかやらなくても普通に育つ」初めて栽培した人だとそう思ってしまうが、そこが最大の落とし穴。順調に育っているように見えるが、じつは「球根の水栽培」をしている状態だ。翌年にどうなるかは言うまでもない。

 常識的に考えて、必要以上に濃い肥料を与えれば肥料負けする・・と思うのだが、肥料過多で枯らしたという話は聞いたことがない。海岸の海水をかぶるような場所にも生える植物なので、おそらく過剰塩類などに対する抵抗性が強いのだろう。(これは推測であり根拠は無い。引用しないように。)

追記:ただし肥料過多だと枯れないまでも、葉に黒斑が出るなどの生理障害が出やすくなる。

 オキナワチドリは土中深くにストロン(地下茎)を伸ばして新球根を作るので、用土内に肥料を混入しているとストロンが肥料に当たって傷む。そこで置き肥、もしくは液肥を使って肥培する。まあ肥料をやりすぎれば、大きくなりすぎて風情が無くなるのだが、そういう心配は風情が無くなるほど大きく育てられるようになってからすればよろしい。肥料不足で一年ごとに小さくなっていくほうがはるかに怖い。オキナワチドリは衰弱しきって手遅れになるまで体力を絞りきって花が咲き続けるし分球もするので、初心者は「いきなり枯れた」と勘違いしやすい。

 ちなみに「山野草的にちょうど良い大きさ」は、オキナワチドリの場合、何かトラブルがあった場合には速攻で回復不能になるような、余力の無いサイズだ。「小さく締めて作る」というのは弱っても簡単に回復可能な、生育の早い植物にのみ許される話。体が弱いのに貯蓄が無いミニマムライフは無駄のないライフスタイルではなく、命の危険をともなう貧困である。

(余談になるが、沖縄ならではの例外的事例として、鉢植えを庭に置いておいたら種子が風で飛んで他の植物の鉢植えの中から次々と発芽してきたという話がある。本土で言えばネジバナと似ている。そういう苗の場合には栄養分を供給する「ラン菌」が共生しているのでまったく肥料を与えなくてもしぶとく育つ。しかしネジバナと同様にそのままだと短命で、植え替えて管理栽培に移行しないと菌類遷移と共に消滅する)

 なお、与える肥料の種類(ブランド)や成分比率が生育に大きく影響するが、それに関しては「育て方」になるので割愛する。生育中期以降に有機肥料を与えすぎると窒素過多で葉がゴワゴワになって花が歪んだり葉先が茶色くなったり、初期から粉末ハイポネックス単用だと窒素不足で葉色が悪くなって大きくなりづらかったり、まあだいたいは園芸常識の範囲である。オーストラリア産の貧リン酸地域樹木のようにリン酸肥料を与えたら即死するとか、そういう特殊な性質は特にない。「普通に」肥培すればよろしい。

 ラン科基準での「普通」がよく判らない? そういう奴とはここでお別れだ。運が良ければ生き延びられる事もあるだろう。

 

4.植え替えをしない

「植え替えしてないけど、今年も元気に花が咲きました」2年目の栽培者に多い勘違いがこれである。

 オキナワチドリにはどうも連作障害があるようで、毎年きちんと植え替えて新しい用土に更新しないと生育が悪くなる。また、オキナワチドリは長く伸びた地下茎の先に新球根を作るので、新球根が鉢底の変な場所にもぐりこんでいることが多い。植え替えしないでいると鉢底から芽を出したり、地上に芽を出せずに途中で腐ったり、芽が出ても鉢底の水分環境が良くない場所で育つことになって新球根の肥大がものすごく悪くなったりする。

 何度も言うようだが、オキナワチドリは球根がまともな時には少しぐらい環境が悪くても花が咲く。「植え替えなくても元気に育つんだ」と思って安心していると、その年の植え替えの時に新球根がほとんど形成されておらず愕然とすることになる。まして「今年も元気に育っていたし、さらに一年ぐらい植え替えなくても大丈夫だろう」などと考えるのは馬鹿の極み。3年目にはもう1本も発芽してこない。

 オキナワチドリは毎年の植え替えが必要不可欠。植え替えが嫌いな人は最初から手を出すべきではない。また、生育中の植え替えが難しい(植え替え自体は可能だが、新球根のできる地下生長点をうっかり傷つけると回復不能になる)ので休眠中か、遅くても発芽初期までに時期をのがさぬよう植え替えておかねばならない。「うっかり放置して葉が伸びてきてしまったから、今年はこのまま育ててしまおう」はい、アウト。あなたは性格的にオキナワチドリとは相性が悪い。他の植物の栽培をお奨めする。

(続く)

オキナワチドリの枯らし方(その1)

Amitostigma lepidum, unnamed seedling in 2018.

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オキナワチドリ実生。

 ネットを見ていると、オキナワチドリを育てている人はそこそこ見つかる。が、栽培情報を書いてくれている方があまり見当たらない。備忘録的に「枯らし方」をメモしておくことにする。

 え、枯らし方?と思う方もおられるだろうが、育て方というものは栽培者の栽培環境によってそれぞれ最適解が異なる。違う環境の人が他人の育て方を表面だけ真似しても、総体的なバランス調整に失敗して枯らしてしまうことは珍しくない。

「これをやったら成功しました」は多くの場合、唯一無二の成功手段ではない。他にも成功につながる方法は探せば見つかるものだ。前述のように他人を下手に真似するとかえって痛い目を見る場合すらある。

 一方で「これをやったら失敗します」を無自覚にやらかした場合、栽培条件にかかわらず致命的な結果になる。命を扱う現場では「これだけはやってはいけない」という禁忌事項を先に学んでおく必要がある。

 余談だが医師国家試験のマークシートには「これを選んだら絶対アカン」選択肢がさりげなく混ぜられている。気がつかずにそれを選ぶと「医者になる資格が無い」と判断されて、他が全問正解でも問答無用で不合格になる。(通称「ドボン問題」)

 

1:弱った苗を買う

 オキナワチドリの生育状況を観察してみると、当年の植物体は「球根に蓄積されている前年度の栄養分によって生長している」と考えるのが妥当のように思われる。つまり当年に吸収・生産された栄養分は新球根に蓄積され、翌年になってから使用されているような「印象」がある。(根拠は無い)

 前年に劣悪な扱いをうけていた苗だと、新球根のサイズはある程度大きくなっていても、その内部は水分ばかりで栄養分が充分に蓄積されていない。そういう球根を植え付けると、どれほど良好な栽培をしても最低でも翌年まではまともな生育をしてくれない。虚弱な品種だと一度衰弱させてしまうと順調に生育するようになるまで数年以上、回復に5年も6年もかかる事すら珍しくはない。

 自分の作場における最適解を把握していない人が、弱っている苗を入手してしまったら試行錯誤しているうちに枯れてしまう。適切に管理できたとしても、生きるでもなく枯れるでもなく・・という状態がいつまでもグズグズ続く。1年や2年で「これは駄目だ」と決めつけて、管理の手を抜けば枯死一直線だ。

 山から掘ってきたばかりの苗を購入する、などというのは問題外。盗掘の是非とかいう問題以前に、苗の扱いが粗雑で商品として落第点のものが多い。特に沖縄本島産の野生個体は性質の虚弱なものが多い。自生地と栽培場では環境が異なるので適応させるのも容易ではない。栽培経験値の高い人でなければ翌年まで生かしておけるかどうかも疑問である。採取時に新球根がちぎれていたりしたら、栽培の達人でも回復させるのは無理だろう。

 一方で充実した栽培球であれば、植えつけて真面目に灌水していればとりあえず花は咲く。そのあと充実した新球根ができているかどうかは栽培者の育て方しだい。翌年に「作上がり」してより大きな株になっていれば(とりあえずは)栽培成功。

 しかし栽培状況が最適解からずれていた場合、分球して数は増えても新球根のサイズが小さくなってしまう。翌年の植物サイズも球根に見合った小型株になる。オキナワチドリの場合、栄養状態が悪くなっても着花数にはあまり変化がなく、全体の大きさだけがどんどん縮んでいく。「なんだか小さくなったけれど、このほうがかわいい♪ 花数も減ってないし問題なさそう♪」などと能天気なことを言っているうちに毎年衰弱が進んで、最後には回復不能になる。数は増えて当たり前、新球の大きさで判断しろ。

「すごく元気だったし、毎年殖えていたから育て方は間違ってなかったはずなんだけど・・安心して気を抜いたせいで枯れたかな?」などと無自覚に語っている方をしばしば見かけるのだが、入手した時の生育は前年の養分を使っているので、生育状況と栽培者の栽培能力は比例していない。でっかいヒヤシンスの球根を買えば水栽培でも花が咲くが、それはあなたの栽培技術で咲かせた花なのか?

 気を抜いた? 一体いつから ーー 気を抜いていないと錯覚していた?

 というか普通の人の「園芸」は花が終わったらそのまま捨ててしまう消費栽培なので、買ったあと花が咲くまで生きていれば一般人にとっては「栽培に成功した」だったりする。

 「わーい花が咲いたよ~」と無邪気にインスタで報告。いやいやいやその育て方ではそのうち消滅します、ガセ情報をまき散らすのはやめましょう、と言ったところで相手はガチで世話をする気は最初から無い。一般社会の「育てる」とマニア基準の「育てる」は意味が違っている

 そしてちょっと手間をかけて3年も生かしておければ、中級者相手には十分にマウントがとれるのがこの世界である。マニア連中を集めた栽培説明会で「最低でも10年は維持できなければ育てられるとは言わないです」と発言すると、冗談だと思われて会場から笑い声が聞こえてくる。(実体験

 オキナワチドリには採集後30年以上も栽培下で維持されている品種がいくつもある。個体寿命は最低でも40年くらいはあると思うのだが、「上級者」の方々は5年や6年の「栽培」で満足しておられるのだろうか。

(余談だが、ウチョウランは70年くらい育てられた品種は分球が止まり維持できなくなると古参栽培家の間で経験的に言われている。「個体寿命」があるので生長点培養でウイルスフリー再生するか、他株と交配実生して血統として残さなければ系統保存できないらしい)

 では初心者相手には? ・・ウチョウランとイワチドリを取り違えてSNSに載せ、嬉しそうに語っておられるような方々(けっこういる)に、求められてもいないコメントをして不快にさせるのは礼儀知らずというものだ。

 もし話を振られても「すごーい! とってもかわいい花ですねー、何という名前ですかー?」とか、まず最初に相手のやっている事を肯定しておくのが会話のマナーである。あとは何もわからないふりをして、相手からの教えを乞うとさらに喜ばれる。「それは違いますね、正確には・・」などと、否定から入って情報提供しようとするのは最低最悪である。

 定型者が求めるものは正しい知識ではなく、他者からのふんわりした賛意と共感である。花は生活を彩る消費アイテムの一つ、他者と話題を作るためのネタ素材にすぎない。

 本気で育てようとする熱量の無い方であれば、知識が正しかろうが間違っていようが行き着く先は同じなので知る意味はない。詳しい情報ではなく、相手が気持ちよくなれる言葉を見つけ出して言ってあげなければ社会人として失格である。

だがヤフ〇クで山盗りを買って枯らすカス、テメーはダメだ。

 

2:上から潅水する

 植木鉢に植えて頭から水をかける。はい駄目。もうお話にならねーです。素人はとっとと帰れ。

 ・・とまあ、いきなり突き放しても意味が判らないと思うので解説すると、サギソウとかチドリ類のように植物体が軟質のランは、葉の付け根などに水滴がたまるとそこから腐りはじめる。着生蘭のように表皮が厚いものは(生育適温期であるならば)雨ざらしでもほとんど問題ないのだが、小型地生蘭は数日間じめじめした状態が続くと根元からスッポ抜けて死亡する。

 たまたま環境の良い作場だったりすると放任状態でけっこう育ってしまう事もあるのだが、毎年安定して育てようと思うなら栽培場に雨除けの屋根を設置することが必要不可欠になる。特に雨期や梅雨のある地方では屋根無しの作場だと過湿になっても乾かす事ができないので、絶対にどこかで腐る。

 屋内でも、頭から水をかけて葉を湿った状態のまま放置するのは危険。水差しなどを使って、植物体から離れた場所に丁寧に水を灌注するのが理想的。一度湿らせたら次回の水やりはある程度乾きはじめるまで待つ。うっかり水をかけてしまったら送風扇で風を送って乾かしたり、「カメラ用ブロアー」で空気を吹き付けて水滴を吹き飛ばしておく。

(念の為申しあげておくが、どんな場合にも絶対に葉を濡らしていけないわけではない。通風不良の状態で湿りっぱなしにすると病原菌が繁殖して腐りはじめるという話なので、条件しだいでは時々葉を洗いながしてやったほうが良い場合もある)

 とは言っても湿度不足にしたり、用土を乾燥させすぎるのも良くない。ベストの水分加減を保てるよう調整しなければならないのだが、その「ある程度の乾き」の適正範囲が小型地生蘭の場合はものすごく狭く、会得するのが無茶苦茶に難しい。「通風が良いけれど湿度は高め、じめじめした感じにならない範囲でしっとりした状態、水切れは禁物だが停滞水は不可」言葉にすればそういう感じだが、それがどのような状態か感覚的に思い浮かべられるだろうか?

 冬に長雨が続く沖縄と乾燥注意報が出る関東、降雪があって人工照明が必須になる日本海側ではまったく違う環境調整が必要になる。高湿度で通風が悪く生乾き状態が続く作場と、毎日灌水しないと表土がカラカラになる全日照サンルームを同一には語れない。用土や鉢の材質・形・大きさによっても乾き具合は異なる。そういう違いに合わせた調整手段は作場ごとに異なり、一般化して語るのが難しい

 園芸用語で俗に「水掛け3年」と言うが、小型地生蘭の場合、3年で自分の作場に合った水分量を把握できたら達人の領域だと思う。通常であれば人工増殖されたイワチドリやウチョウランを練習台にして無数のバッドエンドを体験し、思いつく限りの回避策を試して、ようやく攻略ルートが(ノーマルエンドまで持ち込めたら大成功だと)見えてくる「死にゲー」である。(ただし栽培環境がムチャクチャ好適地だったり、小学生の頃から何か育てていて基本ができていたり、天才だったりする場合はこの限りではない)

 状況によっては鉢受け皿に水をためて底面給水しながら株元のほうは乾きぎみにしたり、送風機で常時ゆっくりと風を送ったり、殺菌剤で消毒して腐敗を防いだり、室内管理の場合にはLED照明で補光して植物体が軟弱化しないようにしたり、人によってさまざまな工夫を加えているがこれについては環境にもよるので、絶対的な正解というものが無い。

まあ上を目指すときりが無いのだが、

「雨に当てない。頭から水をかけない。」

最低限これだけは覚えて帰っていただきたい。

 

(その2に続く)

*関連記事は最上段タグ「オキナワチドリの栽培」をクリックしてください。

 

 

(この章はここから先、ただの愚痴しか書いてないので読まなくて良いです)

 

ーーーーーーー立ち入り禁止ラインーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 それでまあ、頭から水をかけるな、とか言うと今度は着生蘭でも頭から水をかけずに管理する方がいたりもする。

 一定数の方々はいっっくら説明しても「何故そういう事をしなければならないのか」という理由を自分では考えない。

 「努力しなくても皆と横並びの行動ができる」定型者は、何も考えず周囲と同じ事をしていれば社会的に問題なく生きていける。「Why: なぜ」を考えるとエネルギーを使うので「How: どのように」だけを学習し、節約した思考リソースは対人戦略に全振りする

 一番の推し生物は「人間」で、人付き合いと無関係なモノやコトには興味がない。群れに同調したくて他人の行動を真似「してしまう」のはほとんど本能に近い。皆と同じ行動ができない者を理解できず、反意や悪意で逆らっているとしか思えない。

 目の前にいる人間の「お気持ち」に合わせる(最低でも共感している演技をする)のが対人交流の基本。それを無視して理屈や正論を言う者は、人の心を傷つける嫌な奴なので罰を与えて改心させなければならない。

 誰かが楽しそうに育てていたら話を合わせられるように同じものを買い何も考えずに育てている人の真似をして、真似事しかできずに枯らすのが定型的社会人の「楽しみ方」であり、最も一般的な「栽培」である。やりたいのは誰かと一緒に盛り上がったり繋がったりすることであって、ガチの栽培ではない。話に加われれば植物は枯れても良い

 どんな植物でも普通の草と同じように頭から水をかけ、それで腐る草であればそのまま見捨てて、失敗した理由を考えないのが「普通の人」の育て方である。普通の人は、良くも悪くも普通でない事ができないように生まれついている。

「え? 植物を入手したら育て方くらい調べるほうが普通なのでは?」と思った方がいたら言っておこう。定型者は植物を育てたいわけではない。お花を飾って眺めたいのであって、地道な世話はしたくない。現代人は限りある時間を植物ごときに浪費するほど暇ではない。

 また、あらゆる階層を含めた「平均的な人」の場合、育て方を調べても説明文が3行を超えていると目が滑って読めない。

 人類の大部分は対人交流に特化しているので、人間と会話しないと情報が頭に入ってこない。誰かが話している動画に重要な単語だけ字幕でつけたものなら耐えられるが、文字情報だけだと頭が拒否する。

 「文章で読めば5分で判る情報をなんで15分もかけてYoutubeで視聴せにゃならんのだ!」と思うのは少数派で、「普通の人」は文章を見せられても理解できない。人間の表情や口調から情報の優先度を読み取り、目で見た他人の行動をそのままコピーして動いているので、映像や肉声の無い文字解説を見せられてもどこが重要なのか、何をどう真似すれば良いのか判らない。知らない単語が出てくると、真似では解決できないので先に進めなくなる。

 1行以上の文章を読み取れない人も世の中には大量にいて、そういう方々のためにリーディングルーラーという読書補助具が売られていたりもする。ご存知ない方は検索してみてほしい。ちなみに3行用のルーラーは受験生の人気商品である。

 食品パッケージの成分表を暇つぶしに読んでしまうような活字中毒者には判らないだろうが、標準的な人は少し長めの日本語列を見ると、外国語の長い文章を見た時と同じように言語処理がフリーズする。長文はただの模様にしか見えないし母語であっても外国語読解と同じぐらい精神集中しなければ読む事ができない。日本語情報をちょっと検索するだけで外国文献を探すよりも気力が吸い取られる。

 頑張って調べてもネットにはニワカが語るガセ情報が氾濫している。かといって昭和時代の書籍記述はもう時代遅れになっている。というか平成以降にアップデートされた(一冊の本にまとめられていない)情報があまりにも多く、一般人に「調べなさい」と言うのはただのイジメである。「ググれないから答えだけ教えろ」と誰かに聞く方はそれだけで標準よりも上である。(そしてニワカに教わって爆死する)

 また、アスペが「どう答えれば相手は機嫌が良くなるか」を読み取れずに相手を怒らせてしまうのと真逆に、説明文から感情以外の情報が読み取れない逆アスペとでも呼ぶべき方々も、世の中には一定割合で存在している。

 一般会話は相手の「お気持ち」に合わせてノリで左右していくべきもの。言葉の定義を追求したり、真実や最適解を堀り出そうとするのは非礼である。「文章に書かれていない内容を読みとるな、文章どおりに読み取れ」と言われても、そんな狂った指示には従えない。それは対人交流では「やってはいけない事」である。

 会話では同じ言葉でも時と、場合と、相手との関係性によって解釈を変えなければならない。文章を読まずに空気を読め。人間は嫌な奴の意見だと正しくても認めないし、好感を持てば間違った意見でも賛同するから、正誤ではなく言い方の巧拙で勝負が決まる。会話で重要なのは話す内容ではなく、口調と表情と話しかけるタイミング。論理を語るな、感情に訴えろ。これが対人に特化した逆アスペの思考である。

 そういう方は文章マニュアルも文面通りには読まない、というか読めない。他人の表情から瞬時に感情を類推するように、目に入った単語から瞬時に内容を類推しようとする。その結果、自分の「常識」に合わせて情報を「読みとって」しまうので、自分にとって非常識な情報が含まれていると解釈がバグる。

 「条件を整えなければ育てられません」と書いておくと、「その条件とはどのようなものですか?」ではなく「育てられないなら無価値な草です」「育てられるなら(何も準備せずに)すぐ買いましょう」とその人の「常識」に合わせて0や100に脳内補正がかかる。

 「10℃以下にすると危険です」と書いておくと「危険だけれど凍らせなければオッケーです」と勝手に解釈して「説明にそう書いてありました」と真顔で主張する。読みとりの解像度が荒いので、事実と妄想の線引きができない。(ちなみに多動系の方は、正しく理解できても衝動的に実験路線に突っ走る)

 そこまで理解力が偏った方はそれほどいないだろう、とお思いだろうか? 

 国際成人力調査の文章読解力判定(レベル1~5に分類)によれば、日本人はレベル1(最低ランク)以下の方々が3割を占めている。「文字は読めるが文章は読めない」方は社会全体で見るとむしろ普通、統計によれば文章を文章通りに読み取る人は10人に1人しかいない。

 下記リンク先に読解力テストの例文がある。ツイッター程度の短文だが、単語だけ見て推測で判断している方だと、高率で答えを間違うように設問されている。「こんなもの読み間違うわけないだろ!」と「こんなもの見ただけで判るわけないだろ!」というグループに二極化するようだが、社会全体では後者のほうが多数派の模様。

 同じように「人の気持ちが読めない奴はおかしい!」と「見ただけで判るわけないだろ!」という人がいる。読める人は努力しなくても読めるので、努力しても読めない人がいると言うと「嘘だろう」という顔になる。

 ちなみに日本人の文章読解力は24カ国ランキングで最高得点、3割がレベル1だけれど世界標準はもっと下である。

 さらに言えば、試験問題であれば「非常識な文章でも文章通りに読んで、非常識に添った答えを返す」アスペ仕草が正解になるが、現実では真情報とガセ情報、本当だけれど現実的ではない情報、嘘ではないが肝心な部分が抜け落ちた(そのまま信じると嘘になる)情報が混じって流れてくるので、話がさらに面倒になる。

 文章を過不足なく読み取った上で、主観に流されず比較検証して実用的な部分だけを探し集め、欠落部分を自分で見つけ出して補完していかねばならない。世間ではそういう特殊技能、「情報リテラシー」と呼ばれる上位能力を使ったバトルが行われている。

 文章が読めるのは大前提。信じる前に一次情報まで遡って確認し、嘘の中に隠れた真実、真実にまぎれこんだ嘘を識別できる人でなければネット情報を使いこなすのは難しい。学校では「嘘」の見分け方をまったく教えないので、学校の勉強が優秀でも実社会では使い物にならない。

 そして情報を正しく理解しても「実際にできる」能力がなければ能書きバカに留まるし、理解していなくても(人真似で問題ない事なら)何も考えずに他人の真似をできる方のほうが勝つ。

 というか人類は本来、文字だけで情報をやりとりする能力を持っていない。文字情報を理解できないだけでなく、自分がやっている事を文字情報にして伝える事もできない。定型者は定型者を見て真似できるので、「そんな事は言わなくても普通は判る」「考えなくても普通はできる」が社会生活の基本になっている。それができない人間は一般集団に所属するのは難しい。

 なお、文章読解力は対面コミュニケーション能力、コミュニティ内に居場所を作れる社交性などーーいわゆるコミュ力(りょく)とは無関係である。定型的な会話では論理よりお気持ちのほうが重要なので、理解力よりも相手を気持ちよくする表情や言い方を反射的にできるほうが対人的な評価は高い。「文章は読めないが空気が読める、対人営業の得意なモテ男」が存在する可能性もある。(その逆の人間は研究職の中にたくさん・・いや何でもない) 

 このブログの冗長な文章を好き好んで読んでいるとしたら、長い文章が読めるあなたは「普通」ではない。(褒めてない)

 普通の人はスポーツが好きでも筋トレは苦行だし、音楽が好きでも楽器の練習は楽しくないし、漫画が好きでもデッサンの勉強はしなくないし、花が好きでも育て方を調べたり工夫したりするのは苦痛でしかない。大多数の人間は基本を積みあげる事に楽しさを感じないし、そこまでしてできるようになりたいとも思わない。努力を努力と感じない人は、その時点ですでに特殊な才能がある。(ちなみに定型者は対人交流を努力と感じない)

 つまるところ「普通の人」は、育て方を自分で調べ、植物の性質を理解し、栽培環境を植物に合わせて調整しなければならない「真似事では育てられない植物」を取り扱うのは生得的に難しい。というか、昭和時代から半世紀にわたる栽培情報を把握できていない状態から、自力で「栽培方法の再発見」をしていくのは不可能に近い。

 そして調べて面倒臭さが判れば、常識人ならラン栽培には手を出さない。理解力があったら「頑張れば育てられる」は「頑張れなくなった時点ですべてが滅ぶ」と同じ意味だと気付く

 手を出しても地道な世話が続けられない方は必ず枯らす。育て方を調べられない、調べても「文章が読みとれない」「ガセをガセと見抜けない」方はまともに育てられない。調べた上で野生蘭を育てたがるのは、情報を都合良く脳内変換してしまう人格障害者か、枯らしても平気な園芸サイコパスのどちらかである。

 しかし厄介さを理解した上で「それでも育てたい!だから枯らさない方法を勉強し、お金と時間と労力をつぎこんで何年でも地道に世話を続ける!」という情熱に目覚めた、あるいは何かの呪いがかかってしまった方もごく稀に現れる。そういう方は世間一般では既知外と呼ばれている。

 そういう普通でない栽培者が野生種を育てて一般社会に公開した場合、それを見た「普通の人」が何も考えずに真似をして、野生種保護にとって好ましくない行動をとることがしばしばある。それは理屈や正論では絶対に止められない。だからこのブログのように、商業生産されていない植物の栽培記事を公開すると社会の害悪になる。

 興味を持ってはいけない。持たせてはいけない。普通の社会に適応している人は、どれだけ教えても育てられるようにはならない。生得的に「できない」のだ、既知外以外は。

(リンク:「オキナワチドリの枯らし方(その2)」に続く)

Amitostigma lepidum seedling

unnamed seedlind in 2018.

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オキナワチドリ実生初花。現在の基準で言うと、とりたてて命名するほどの個体ではない。が、形質として若干気になる要素もある。

業者が扱っている実生寄せ植えの中から、こういう個体を引いてきて交配に使ってみると思わぬ発展につながることもある。

Aristolochia liukiuensis

in Habitat. Okinawa island, Japan.

f:id:amitostigma:20180315151126j:plainリュウキュウウマノスズクサ沖縄本島北部にて。

ウマノスズクサ類は独特の個性ある花を咲かせるので、好き嫌いが分かれる。海外の同属には巨大な花を咲かせる種類もあり、日本でも少数ではあるが苗が流通している。

アリストロキアとは|ヤサシイエンゲイ

本種も含めて、ウマノスズクサ類は栽培自体はそれほど難しくはない。しかし性質にやや癖があって気を抜くと調子を崩しやすく、万人向けの園芸植物とは言い難い。大型のツル植物で栽培に場所をとることもあり、個人宅で栽培している例はあまり多くないようだ。大型なので鉢植えの場合には植え替えが大変なことや、耐寒性がそれほど強くない、などの点からも本土での栽培にはどちらかといえば向いていないと思う。本土で育てるのであれば本土産の小型耐寒ウマノスズクサ(アリマウマノスズクサなど)のほうが適切だろう。

ウマノスズクサ類の根は、中国では漢方薬(青木香:せいもっこう)として利用されることがあるというが、発癌性・腎臓毒性をもつアリストロキア酸を含有しているため、日本では加工品(漢方製剤)を含めて販売は禁止されている模様。

 Byasa alcinous in Aristlochia.

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リュウキュウウマノスズクサについていた、羽化直後のジャコウアゲハさん。本種は沖縄では1月頃から1回目の羽化がはじまり、春の蝶の代表選手をつとめる。食草であるウマノスズクサ類の植物毒を体内に蓄積しているため猛烈に不味いと言われ、うっかり食べた鳥はすぐに吐き出して二度と狙わなくなるという。

www.pteron-world.com

誰か味見をしてみた人がいないか検索してみたが、舐めてみた人はいるようだがムシャムシャ食べた人は見つからなかった。まあ発癌物質を含んだ蟲を試食する人はさすがにいないようである。(笑)