Amitostigma’s blog

野生蘭と沖縄の植物

オキナワチドリの育種(純白花)

Amitostigma lepidum (Hemipilia lepida) , alba form.

2017 deflask seedling.

オキナワチドリ純白花、2017年フラスコ出し実生。(選別個体の分球クローン寄せ植え)

「純白花・遺伝子型1」と仮称されている系統。

 

オキナワチドリ純白花には、要因遺伝子が異なる3つの系統がある。

  ・同系統内で交配すると、実生はすべて純白花になる。

  ・異なる系統同士で交配すると、実生はすべて標準花になる。

 

(過去記事に長文の説明があるが、ブリーダー以外にはまったくの無駄知識なので読む必要はない)

 ちなみに「遺伝子型1」は古典品種「白馬(はくば)」の実生後代である。

 市場流通している実生純白花の多くは遺伝子型1だと思われる(遺伝子型2、3はあまり増殖されていない)が、外見からは見分けがつかない。まあ、普通の人は見分ける必要も無いだろう。

 昭和時代にはオキナワチドリは「馬づらチドリ」と蔑称されており、「白馬」という品種名もそれを意識したものらしい。

 縦長の花が駄目なら横に長くしてやろう! という方向性で品種改良したのが冒頭の個体。ついでに間延びしやすい草姿も改良し、背の低いコンパクトな個体にしてみた。葉質や弁質も厚く傷みにくくした。増殖率も良くなっている。

 しかし、そういう工夫は無意味だった。

 一般園芸家にとってチドリ類は消耗品である。多少丈夫になった程度では、どのみち長生きさせるのは難しい。どうせ枯れるなら、球根を植え付けてすぐ花の咲くイワチドリや、ド派手に改良の進んだウチョウランのほうが飾り捨て用として優れている。

 さらにオキナワチドリはガチで管理しないと花が縮んで貧相になる。慣れない人が育てた場合、枯れはしなくても、もともと貧相な白花と区別がつかなくなる。要するに何を育てても一緒である。

 というか一般的な「植物好き」のレベルだと、花型の違いまで理解していない。色が赤いか白いか程度まではぼんやりと認識しているが、色が同じだと改良花と野生花を並べて見せても区別がつかない。ミリタリーマニアでない人間が戦車と自走砲を並べて見せられたような感じになる。

 こちらは冒頭個体を花粉親にして、円弁個体と交配した実生。花はより大きく、草姿はさらにコンパクトにまとまった。これを交配親にして実生すれば次世代でより優れた純白花が得られる・・

・・はずなのだが、育てていく心が折れたので先月に処分した。今後はもうオキナワチドリの育種をする予定は無い。

 昭和の野生ランブームの頃には一緒に育種を競うライバルもいたし、選別した個体を進呈すると鉢一杯に殖やしてくれる趣味家もいた。小型地生蘭を維持増殖できる栽培家はもともと1万人に1人のレベルではあったが、趣味人口が数十万人いる時代なら数十人が栽培維持してくれた。

 しかしほとんどの野生蘭は真面目に栽培するとコストパフォーマンスが悪すぎることが判ってきて、情報を知った趣味家は手を出さなくなった。オキナワチドリのブリーダーは全員が引退し、師匠や先輩方は鬼籍に入っていった。古典品種を野生植物コレクションの一部として管理している趣味家はまだ残っているようだが、オキナワチドリ栽培者自体がすでに絶滅危惧種である。

 まあ今でも園芸需要はある。人気が無いわけではない。しかしそれは消耗品としての需要であり、その先にあるのは虚無である。

こちらは別の育種ラインで選別した、細弁大輪系の純白花。(遺伝子型1)

これを花粉親に使って、細弁花と交配した個体が下の画像。

これを親に使って実生すれば(以下略)

先月に処分した。

 

 捨てたわけではないので、誰か育てられる方の手に渡った可能性も微粒子レベルで存在するが、期待はしていない。

大正期・沖縄工芸の植物装飾(後編)

 前編からの続き。

 琉球古典焼の壺。

 (狭義の)古典焼が作成されていたのは大正から昭和初期(戦前)の数十年だが、作成記録などがまったく残されていない。そのため作者や窯元、作成年代をピンポイントで確定するのは難しい。

 この壺の意匠はバナナの木ではなく、正真正銘のヤシの木。比較的レアな意匠である。

 実の大きさから見てココヤシだろうが、ココヤシは最寒月の平均気温が18℃以上でないと順調に生育できない。沖縄本島は自生北限を超えているので、しばしば植栽されているが生育は今ひとつ良くない。こういうふうに鈴なりに実が成っている光景は台湾以南でないと見られない。

 そういう植物がどうして沖縄工芸のモチーフになっているのかと言えば、本土向けのイメージ商品だからである。当時の情報感覚では沖縄もフィリピンもニューギニアもまとめて「南方」である。細けぇ事はいいんだよ。

 ここからまた陶芸史の記述になる。読み飛ばしても問題ない。

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 ともあれ、大正末期頃には古典焼はまぎれもなく沖縄を代表する工芸品であった。しかし初見時のインパクトが薄れ、ブームが一巡した昭和初期には売れ行きが少しずつ落ちてきた。

 やはり何というか、作品の出来がちょっと・・いや、このユルさが「ブリキのおもちゃ」や「昭和の怪獣ソフビ人形」と共通する、古典焼の持ち味なんだよ!(力説)

 ・・などと思っている趣味家が当時、どの程度いたかは定かではないが、昭和13年に決定的に状況が動いた。「民芸」という造語を日本に広めその概念を根付かせた開拓者、日本民藝協会の初代会長にして日本民藝館の初代館長、今なお芸術界の巨人と評される柳宗悦(やなぎ むねよし)氏の来沖である。

 柳氏は「民衆の暮らしの用と、そこに宿る健全なる美が生き続けている聖地(意訳)」と沖縄を絶賛した。その一方、古典焼への評価はボロクソであった。

「装飾がいつも過剰で醜いものが多い。特に安ものは、あとで着色したりするので、一層いかものゝ感じがする。(中略)沖縄の焼物史の中で、寧(むし)ろ瀆(けが)れた一章を殘(のこ)すものと云(い)っていゝ」(「琉球の陶器」1942年)

 ひどい言われようである。

 まあ、たとえて言うならば「伝統人形の工房に行ってみたら、職人さん達は顔の造形が微妙な美少女風エロフィギュアに蛍光色を塗っていた」みたいな光景を見て絶句したのであろう。知らんけど。

 いずれにしても、酷評された古典焼は表舞台から姿を消すことになる。評論家は語ることすら避けるようになり、美術史から記述が抹消された。本土に渡った大量の品物は物置の奥に押し込められ、そのまま忘れ去られた。

 その後まもなく、長い混乱期がおとずれる。

 昭和16年、太平洋戦争が勃発。沖縄は戦いの炎に包まれた。那覇の士族街は残っていた工芸品と共に灰塵と化し、首里城は砲撃をうけて燃え尽きた。しかし近在でありながら壺屋地区は奇跡的に爆撃をまぬがれ終戦を迎える。

 昭和20年、占領軍は壺屋を住民に開放、100人ほどの陶工たちが「陶器製造産業先遣隊」として戻ってきた。やがて住民用の日用雑器だけではなく、米軍関係者向けのお土産陶器の製造も始まった。この時に陶工達が思い出した工芸品があった。

 そうッ! 古典焼である! 

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 戦後に作られた品だが、戦前の古典焼にも類似の意匠がある。これは大正初期に本土で流行していたという「エジプト文様」を取り入れたもの。具体的に言えばエジプトの壁画に着想を得たと言われる国籍不明の人物像と、花である。

 植物の種類?・・えーとその、花だ。細けぇ事は(略

 真面目に考察すれば、中国陶磁の代表的意匠である牡丹&唐草の写し(写してない)だと思う。ちなみに沖縄ではボタンの栽培は難しい。

 底面を見ると、出荷時の販売ラベルがきわめて保存の良い状態で残っており、アメリカ統治時代の沖縄で作られたことが判る。製造元は今も壷屋で営業を続ける「仁王窯」小橋川製陶所である。

 

 こちらは製造元は不明だが、松竹梅のペン立て。ものすごく手間がかかっている。作品の出来? 細k(略

 底面にはOKINAWAの刻印。ちなみに戦前の古典焼には「琉球」の刻印が押されていたりいなかったりする。作っている陶工や工房が連続しているので、刻印(もしくは線刻手書きの「琉球」)が無い作品だと時代特定が難しい。なお、沖縄陶器に作家の銘が刻まれるようになったのは本土復帰後、陶芸史的にはごく最近の事である。

 

 これは植物ではないが、参考までに龍模様のティーポット。蓋があったと思うのだが残念ながら失われている。

 「その当時、多くの陶工がアメリカ軍基地内のPX(管理人注:post exchange=軍隊内のコンビニ)に陶器を出していた。出荷した製品は、オリエンタル的な嗜好の強いもので、いわゆる古典焼に酷似したものが多かった」沖縄県立博物館紀要 第18号「壺屋と古典焼」)との事だが、米軍統治時代のお土産陶器は日本国内にほとんど残っておらず、図録などにも希にしか収載されていない。断片的な情報からすると、後にも先にも(いろいろな意味で)類例の無い製品が作られていたっぽいが、全容はよく判らない。

 そして本土復帰後も、観光客向けのお土産陶器の中に古典焼の血脈は受け継がれている。

 現在の壺屋焼には「技のデパート」と呼ばれるほど多種多様な加飾技法が伝えられている。しかしそれらの技法のほとんどは琉球王朝時代には用いられた形跡が無く、古典焼のデザイン実験時代に導入されたものらしい。

 古典焼は壺屋の危機的状況を救った救世主であると同時に、さまざまな技術を花開かせる触媒でもあった、と言っても過言ではないだろう。過言だったらすまん。

 近年は古典焼の再評価が進み、博物館で展示会が開かれたり、復刻版の古典焼が作成されたり、一部のデザインが現代陶器に融合されていたり、その存在は今なお沖縄の工芸史に新たな活力を与え続けている。

 

 ・・というわけで話が綺麗にまとまったが、最後に種名同定しきれなかったものを貼っておく。

 株分かれした植物体はアロエっぽいが、花茎の特徴から見てリュウゼツランだと思う。戦前の写真(外部リンク)リュウゼツランの開花株が記録されているが、沖縄に導入されたのがいつ頃だったのかははっきりしない。ちなみにリュウゼツランの沖縄方言はルグァイ(蘆薈=中国語のアロエ)で、アロエと同じ呼び名である。だからどっちだよ。

 

 これは2001年10月の展示会「琉球古典焼 壷屋焼」(那覇市文化協会 古美術骨董部会)の図録から引用したもの。これを見て種名を当ててみろ! と言うのは15世紀ヨーロッパのヴォイニッチ手稿の植物画を見て、中米ナワトル語文化圏に実在する薬用植物(一部のみ。異説あり)だと特定するぐらいの難度である。

 

 たぶんコレと同じ植物ではないかと思うのだが、確証は無いまあ本土の方はこれを見ても、パパイヤ以上に正体不明だろう。植物名はあえて書かない。

現場からは以上です。

大正期・沖縄工芸の植物装飾(前編)

flower vase, 100 years ago.

made in Tuboya, Okinawa, Japan. 

 100年ほど前に沖縄本島・壷屋地区で作られた花瓶。

本土の骨董商から「ヤシの木の壺」として入手したもの。

 こちらは別の骨董商から入手した同時代の壺。植物に詳しい方ならすでにお判りだろうが、これらはヤシの木ではない。バナナの木である。(バナナは草本なので木と呼ぶのは間違いだという意見もあるが、細けぇ事はいいんだよ)

 最初の花瓶、裏側の植物装飾。これも「ヤシの木」とされていた。

 沖縄の庭先では普通に見かける木である。本土の方でもこの植物の名前はほぼ全員が知っているはずだが、名称当てクイズに答えられる方は少ないと思う。

 この画像も同じ植物である。こちらのほうが種名が判りやすいだろうか。

 

 正解はパパイヤの雌木。パパイヤは木ではなく草本だという意見もあるが、細けぇ事は(略

 パパイヤの木 - Google 検索

 昔は種子から育てたら雄木になって切り倒したりしたものだが、最近はメシベがある突然変異オス系統(両性花、一本だけで結実)や単為結果性の(オス木が無い場合は種無しになる)メス木クローン苗が流通するようになっている。

 余談だがパパイヤはムチャクチャ生育が早く、ある程度育った苗を植えれば4ヶ月くらいで実が成りはじめる。本土では寒くなると枯れるので露地で完熟パパイヤを得るのは無理のようだが、(タイ料理のソムタムの材料にする)青パパイヤであれば普通の畑で収穫可能らしい。一年草扱いの夏野菜として栽培が広まっている模様。

 で、壺の話に戻る。これらの壺は、本体の成形技術を見ると熟練のプロの技が感じられる。ところが加飾は素朴というか何というか、小学生の夏休み工作レベルである。そのアンバランス感が謎である。

 素人陶芸教室でプロと子供が一緒に作った? いや、そうではない。こういう製品が美術品として大量流通していた時代があるのだ。

 これについて説明するには、大正時代の沖縄陶芸史の話から始めねばならない・・あ、長くなるので興味の無い方は飛ばして先に進んでください。

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 明治維新廃藩置県。それに続いて明治12年琉球王国は日本に併合された。(この時に清国への朝貢が強制終了されて日清戦争の要因の一つになるが、その話は置いておく)

 薩摩藩による従属化と貿易統制が消滅し、新生沖縄県と本土の間で自由な商業取引が始まった。

 陶磁器産業も例外ではなく、本土の工場で量産された安価な磁器が大量に流入してくるようになった。無骨な沖縄陶器の需要は落ち、非効率な手作り生産では価格的にも本土製品に対抗できない。琉球王府の定期的なお買い上げ、官窯としての保護優遇も消滅し、沖縄の陶工達には夢も希望も無くなった。

 そういう状況を打開したのは、沖縄に移住してきた本土出身の寄留商人達であった。

「非効率な手作り製品しか作れないなら、本土では非効率すぎて作れないモノを作って本土に売ればいいんじゃね?」 

 逆転の発想である。彼らの創造的マネジメントを受け、新商品の開発が始まった。

 こうして従来の陶器製品の表面に彫刻、粘土盛り付けなどでさまざまな立体造形を加えた輸出用陶器が爆誕した。名付けて琉球古典焼」。実際には古典でも何でもなく、古今東西の加飾陶磁器を参考にしてでっちあげた  創造した(当時の)現代アートである。

 今回紹介するのは実在の植物をモチーフにした製品のみだが、古典焼シリーズにリアルな意匠はそれほど多くない。むしろ空想の動植物や、エキゾチックでファンタジーな図案、熱が出た時に見る幻覚のような正体不明の模様などが多い。

 陶業地・壷屋は伝統技術と前衛美術が融合し、アールヌーボー様式と朝鮮陶磁の技法がせめぎあい、プロの思索とアマチュアの発想が合わさって新たな価値観が生み出される「デザインの実験場」と化した。

 「色が地味だな。彩色して追加焼成を・・何? 登り窯で薪を焚いて焼いているので二度焼きするほどの余裕は無いし、色絵は煤けて濁った色になります?・・よーし判った、製品の表面に塗料を塗ってカラフルな色にしよう。あとで色落ちします? 売る時に綺麗ならいいんだよ、細けぇ事は気にすんな」まことに創造的である。

 今回の大きいほうの壺、よく見ると地肌が赤いのがお判りだろうか。今は褪色してナチュラルな色になっているが、作成時には素肌に朱赤色の塗料がべったりと塗られ、当時の趣味人から「ペンキ塗り」と呼ばれていたらしい。ネットで検索すると保存の良い製品の画像が出てくるが、どこの国の工芸品だか判らない色である。

 しかし、これが本土によく売れた。売れて売れて売れまくった。大正10年には当時の皇太子殿下(昭和天皇)がお買い上げになったという記録もある。

 インターネットどころか航空路線すら無い(那覇ー羽田の就航は太平洋戦争後、昭和29年)時代、沖縄はまだ南海の彼方にある幻の国である。怪しげな国籍不明の陶器は、異世界文明エキゾチックオキナワの古典民芸品というイメージで受け入れられた。陶工には注文が殺到し(中抜きされて儲けは少なかったらしいが)廃業の危機から救われた。

 とは言え、加飾作業は手間暇がかかる。製品の表面に粘土を貼り付けて模様を刻む面倒な作業を、陶工自身がやっていたらいくら時間があっても足りない。そこで出てくるのが家内分業である。

 お父さんが作陶した壺の表面に、奥さんや子供が加飾して色を塗る。小学生の子供も一生懸命にお手伝いする。たいへん心温まる情景である。

 というわけで完成したのが冒頭の壺である。謎はすべて解けた! ・・製品の出来? 細けぇ事は気にすんな。

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 こちらはまた別の壺。上記作例よりも時代的に新しいものだと思われるが、これもバナナの木の意匠である。手作業で粘土を張り付け、真鍮を削って混ぜた銅系の緑釉を部分的に流して焼いている。雑なようだが製法はけっこうガチである。

 こういう細口のものは、泡盛蒸留酒)を詰めて販売するための容器、つまりお土産用の酒徳利である。完品として残っているものを見ると、木栓で封をしたあと抜けないように藁や布をかぶせて縛り、胴体には酒造所の紙ラベルが貼られている。しかし現存しているものはほとんどの場合、画像のように植物製の部分が風化して無くなっている。

 類似の製品が本土の骨董商からオークションにしばしば出品されているが、正体が判らなくなって「花瓶」として売られていることが多い。広口製品でも縛れるようにできているものは花瓶ではなく泡盛壺だった可能性もあるが、徳利以外は焼き締めの「南蛮壺」に入れられているほうが多かったようだ。

 この画像のような品であれば単なるビンテージ空き瓶なので、管理人の小遣いでも普通に買える値段である。というか古典焼自体、陶芸品としては近代のもので現存数も多いため希少価値は高くない。一部の優品を除いて(平均的な出来はアレなので)市場評価は古物以上、古美術品未満である。

 裏側はパパイヤではなく蘇鉄(ソテツ)。

 参考資料として、「ちゃんぷるー別冊・琉球古典焼(2007年)」より諸見民芸館コレクションの画像を引用。

 この時代の製品は「バナナ&パパイヤ」の組み合わせが定番らしく、現存数が飛びぬけて多い。ソテツもたまに混じっているが、それほど数は多くない。後編で紹介するが、それ以外の実在植物は(陶器製品では)かなり稀である。

・・でまあ、似たような意匠ではあるものの、まったく同じものは一つも無い。古典焼シリーズは量産品ではあるが、すべて手作りの一点物。世界に一つだけのオンリーワンなのである。

 それを売りにした商品ではあったのだろうが、人件費の安い当時でもこれは非常識な作り方だったようだ。

「貿易品一千個あれば一千個共に彫刻してある。京都なれば一千個あれば型押し作である」(「泥中庵今昔陶話」昭和11年)という談話が残されている。

 というわけで人気を博した古典焼であったが、その黄金期は長くは続かなかった。

(後編に続く)

過去記事まとめ(オオミズトンボ種間交配)

2014年の原種親から、今年度(2022年、交配第3世代)までの経過。

Habenaria sagittifera

原資1:交配母体のミズトンボ、栽培下増殖個体。2014年、関東某所にて撮影。

ミズトンボの花のアップ。

 

Habenaria linearifolia

原資2:花粉親のオオミズトンボ、栽培下増殖個体。2014年撮影。

↓ 過去記事

 

Habenaria sagittifera X Hab. linearifolia = 50% sagittifera

ミズトンボ♀ X  オオミズトンボ♂ = 50%ミズトンボ(仮称チュウミズトンボ)

2017年撮影。

 

50% sagittifera X Hab.linearifolia = 25% sagittifera

50%ミズトンボ X オオミズトンボ =25%ミズトンボ(仮称ヤヤミズトンボ)

2019年撮影。

 

25% sagittifera X Hab.linearifolia = 12.5% sagittifera

25%ミズトンボ X オオミズトンボ =12.5%ミズトンボ(仮称ワズカニミズトンボ)

2022年、撮影者から送ってもらった画像(今回初撮影、公開許可済)。コロナ流行のため取材に行けず詳細不明。

 

 栽培担当者がこういう交雑種をなぜ作っているのか、理由については過去記事を参照。

 

 余談だが動物の場合、核内にある遺伝子は両親から均等に受け継がれるが、核外にある細胞質遺伝子(ミトコンドリアDNA)は母親からしか受け継がれない。

 そのため他種の血が混じっている個体の遺伝子解析をする場合、核DNAを調べるか、ミトコンドリアDNAを調べるかで鑑定結果が別物になることがある。(前者は一代ごとに両親の遺伝子が混ざり合っていくが、後者は「突然変異がおきない限り」母親と同じ遺伝子が代々伝わっていく)

 被子植物でも核外遺伝子(葉緑体DNA、ミトコンドリアDNA)は一般的には母親だけから受け継がれるが、母系遺伝の縛りがゆるく、なぜか父親の核外遺伝子がごく一部だけ混入して受け継がれていることもあるらしい。

 さらに調査された被子植物のうち2割以上で、核外遺伝子が母系遺伝ではなかったそうだ。核内遺伝子と同様に両性遺伝だったり、動物とは逆に父親からだけ受け継がれたり、葉緑体ミトコンドリアが別々の親から受け継がれたりする種類もある模様。

被子植物の細胞質遺伝:https://www.jstage.jst.go.jp/article/plmorphol/23/1/23_1_25/pdf/-char/ja

 上記論文にはシュンランの場合ミトコンドリアは母系遺伝、という記述があるが、ミズトンボ類の細胞質遺伝については調べても情報が見つからなかった。今後の研究に期待したい。

 なお、葉緑体には葉色や光合成能力、ミトコンドリアには耐暑性などに関わる調節遺伝子が存在するので、別種の核外遺伝子を持つ個体は(核内遺伝子が同一でも)栽培しやすさが違ってくる可能性がある。母親・父親(および遺伝形式)の情報は重要である。

参考:人のミトコンドリア病(指定難病21) – 難病情報センター 

ヤフオク、2022年9月から国内野生生物の出品禁止

絶滅危惧種まで含め、レッドデータ種の個人出品がすべて禁止された。

auctions.yahoo.co.jp

 ・今後、環境省のレッドデータ指定種は ①人工増殖品のみ、②ストア出店者に限り出品が認められる。(出店契約時に登録審査あり。出品時には繁殖環境の画像提示が条件(取引時の注意点を参照))

 ・特定第一種国内希少動植物種など、国から販売許可証を得ている場合でも個人出品は一律禁止。

・そのへんの庭で殖えているシランも、野生では準絶滅危惧なので規約上は出品禁止という事になる。 

 ・一方でセッコク環境省レッドデータ指定は無く、37都道府県での地域指定種)なら出品しても良い?(ちなみに指定種でなくても、山盗り直売などは運営判断でアウトになる模様)

 ・ちなみに現状では、品種メダカのように一目で改良・人工交配種だと判るようなものは(生物種的にはアウトのはずだが)出品が黙認されている模様。(正規に問い合わせれば「ストア登録しろ」と言われそうな気がする

・古典園芸種の寒蘭とか富貴蘭ウチョウランの旧銘品なども、品種メダカと同様に黙認されている模様。要するに客観的にみて繁殖個体だと判断できるかどうかが重要っぽい。

 ・逆に言えば、野生種と見分けがつかないサギソウ無銘青葉や野生型ウチョウラン類は出品しづらくなると予想される。

 *10月追記:古典植物系では、厳格な取り締まりはされていない事に便乗して、野生採取苗などの規約外出品も散見される。

・・とは言っても落札した後に購入者も含めてBANされている可能性もある。ユーザーから違反通報があればアウトになる可能性が高い。

 

↓ 関連記事

サギソウ「飛翔4世」

Pecteilis radiata 'Hisho-fourth-generation'

 今回は過去画像の整理。以前に本土(関東南部)某所で撮影してきたサギソウの獅子裂き品種「飛翔」の交配実生、4世代目。

 全体像。「飛翔」を花粉親にして、東北産の早咲き個体、園芸選抜品の背丈の低い個体などを交配していって曾孫世代に生まれた個体。

「飛翔」と比べて茎が太くてずんぐりした姿になっており、花期は「飛翔」より一ヶ月ほど早い。

 作出者は「全体にもっさりした印象で、サギソウの優美さが消えてしまっている。鑑賞的には普通のサギソウのほうが完成度が高いと思う」と語っていた。

 普通の人は「普通のサギソウ」がどんな形か覚えていないので、この花を見せても違いが判らず「サギソウってあちこちで見かけますね」という反応になるそうだ。

 以下、どこが違うか解説しておくが、ムダ知識なので普通の人が読む必要は無い。マニア以外はここで解散とする。

 

ーーーーーーーーーー立ち入り不要ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 まず基本知識として真祖である「飛翔」の話。(蘭ヲタクはすでに知っておられると思うので読み飛ばしていただきたい)

「飛翔」は昭和末期に選別された変異品種で、本来ならば緑色をしている萼片(がくへん)が花弁化して白くなり、特に側萼片の下半分は唇弁と似た形に変化し大きく広がっている。

 昭和末期に、関西地方の趣味家の間で秘蔵品となっていたものを東京山草会の三橋俊治氏が入手した。それ以前の来歴については記録が残っていない模様)

 その後、三橋氏が監修した「野生ラン変異辞典」(1985年)の表紙に選ばれ、この時に「無銘で出すには惜しい逸材と思い命名した」(三橋氏のブログ、2013年9月15日記事より引用)との事。 

「飛翔」の花茎は細い。

 上画像も同書からの引用。「西日本の産と思われる」とあるが、花期がかなり遅い(関東で8月下旬頃)事も西日本産の性質と一致する。唇弁は丸く小さくまとまっていて、対比で側萼片が目立つ。

 発表当初は(野生蘭ブームの頃だった事もあって)驚くような値段で取引されていたが、そのうち生産業者の手に渡って大量増殖されるようになり、平成末期頃にはガーデンセンターで普通に売られる普及品種となった。

 2022年時点ではサギソウ増殖業者の撤退によりかなり品薄になっているが、まだ流通が完全に途絶えてはいない。栽培者が多いので絶種する危険性は低いと思うが、来年以降の流通量・値動きがどうなるかは予想が難しい。

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 この「飛翔」を交配親に使ったらどんな子供ができるの? というのは普通に考える事だろうが、実際にやってみる人が出てきたのは平成20年代になってからである。

 「飛翔」は柱頭(ちゅうとう:普通の花のメシベに相当する部分)が無く、子房は退化していて種子ができない。花粉親には使えるが遅咲きなので、一般流通している他品種とは花期が合わない。実際に交配するのはかなり面倒臭いのだ。

 一般的には花期が合わない場合「花粉を冷蔵庫や冷凍庫に保存しておいて交配に使う」のがセオリーである。(管理人は経験が乏しいので、具体的な方法は各自で検索していただきたい)

 しかし他個体の花粉を保存しておいても「飛翔」にかけて種子を得る事は不可能。かといって「飛翔」の花粉を翌年まで保存しておくのは鮮度的に成功率が下がる。

 直接交配するには関西系の遅咲き個体を入手して花期をそろえるか、早咲き系統の球根を冷蔵庫で保存して芽出し~開花の時期を遅らせるか、もしくは「飛翔」の球根を加温して芽出し~開花を早めるか、の三択になる。すげー面倒臭いわ、はっはっは(普通の人はここで帰る)

 でもやるんだよ! でやってみたのが東北大学の研究グループである。

(報告のプレスリリースと要約文のリンクを貼っておくが、専門用語の羅列なので普通の人はパスしておいてほしい。「ラン科の花器発生にはクラスA、B、Cに所属する制御遺伝子だけでなく唇弁形成にAGL6類似遺伝子による制御も加わっており、ラン科独自の特殊なABCモデルWikipediaにリンク)が作り上げられている」・・管理人は用語を調べて意味を解読するのに一週間かかった。ABCモデルが提唱されたのは平成3年、高校教科書に載ったのはさらに10年後くらいなので、年寄りは概念すら習っていない)

ラン科植物サギソウにおける獅子咲き変異の原因遺伝子特定

上記リンクの内容を判りやすく言うと、

「『飛翔』は花の形を決める遺伝子の1個(1ペア=2個ある遺伝子の片方)の構成にバグがあって、本来なら花弁とオシベを形作る時にしか働かないはずの遺伝子が暴走し萼片とメシベ(柱頭)の形をバグらせている」

「他株と交配した場合、バグった遺伝子を受け継いだ実生は獅子咲きになる。ノーマルな遺伝子を受け継いだ実生は標準花になる。つまり獅子咲きは顕性(優性)遺伝する。標準花と交配した場合、子供世代の獅子咲き出現率は50%」

 全然判りやすくないって? まあ意味が判らなくても支障は無い。一生知らなくても困らない無駄知識である。 

・・でまあ、東北大の先生がたはここで帰ってしまった。3年以内で論文を書かねばならない職業研究者はいつまでも交配実験を続けているほど暇ではない。

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 そして暇な男が関東にいた。彼は実生F1個体を花粉親に使って、孫世代にどんな花が咲くか確かめてみたのである。

 孫世代でも獅子咲き:標準花=50:50。まあ予想通りの結果である。しかし彼は孫実生の中に、ごく少数ではあるが「柱頭のある獅子咲き」が混じっている事に気がついた。

 左が普通の飛翔タイプ。花粉はあるが柱頭(メシベ)が無い。花粉の両側にある褐色の部分は退化した葯室(花粉塊を収納している部位。普通の花のオシベに相当する)。バグった遺伝子の暴走で萼片は花弁になり、メシベがオシベに変化している。ABCモデル理論に沿ったセオリー通りの変化である。

 そして右が柱頭のある飛翔タイプ。理論通りならメシベができるはずがない。

 さらに萼片や柱頭が中途半端に変化して、ノーマルと飛翔の中間型のものも現われた。

 この花の場合は向かって左だけがノーマル寄り。この個体は生育状況によって変異の強弱が変化し、両側ともノーマル寄りになったり、完全な獅子咲きになったり安定しないそうだ。

 これは1個の遺伝子の暴走では説明がつかない。子実生には出現せず、孫実生のごく一部のみに見られる形質。ここに何か未解明の要素がある。

・・などという小難しい考えは彼の頭には無かった。彼が思ったのはごく単純な事であった。すなわち

 

「柱頭があるんなら、交配母体に使えるんじゃね?」

 

 しかし獅子咲き個体は、柱頭があっても子房はかなり退化している。そんな株が母体になれるのだろうか? 結実する可能性は低いのではないか?

 それでもやってみるのがちょっとおか・・常識にとらわれないチャレンジャーの心意気である。

 

 まず試してみたのは

「有柱頭の獅子咲き X 無柱頭の獅子咲き」=獅子咲きシブリング。

普通なら不可能な交配である。はたして実生はできるのだろうか?

 はい、できました。シブリング実生。

獅子咲き X 獅子咲き=獅子咲き出現率75%。

 

 獅子咲きのうち3分の1には獅子遺伝子が2個あるはずだが、外見的にはどれも同じで識別はできなかったとの事。ちなみにこの交配F3では有柱頭の獅子咲きは出現しなかったそうである。

 その後いろいろ交配が試みられて冒頭の個体に至る。ここでもう一度よく見てみよう。普通の「飛翔」と少し違いがある。

 おわかりいただけただろうか。

 冒頭画像で「柱頭がある」と気がついた方はどれぐらいおられるだろうか。かなりのマニアでも「ふーん、飛翔って実生で遺伝するんだ」程度の認識ではあるまいか。

 さらに一般流通品種と同時期に開花するよう育種されている。花粉しか使えない変異品種との交配も可能になった。交配親としての使い勝手は大幅にアップしているのだが、説明無しでは判らない。

 ・・まあ、交配育種に興味の無い方には「だから何?」と言われてしまう話ではある。

 上画像は冒頭個体と同交配の実生姉妹。唇弁が大きく横に開いた個体を選別し「飛翔」との識別化を図っている。

 上画像の花を上から撮影。この個体も柱頭がある。

 これらの交配実生を使ってさらに育種の進展を・・と言いたいところだが、育種者は昨年に病気で入院し、栽培品はすべて失われたそうだ。今回は彼の公開許可を得たので、お盆に合わせて今は亡き花々の供養をしておく。

 入院前に若干の苗が外部に譲渡されていたそうだが「飛翔』ってどこでも売ってますよね」的な評価だったそうで、栽培品として残っているかどうか定かではない。

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