Amitostigma’s blog

野生蘭と沖縄の植物

Paphiopedilum Leeanum?

in Okinawa island, Japan.

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鉢植えのパフィオペディルム。沖縄本島中部にて。

パフィオは詳しくないので間違っていたらご指摘いただきたいが、交配種リーアナム(Paph.insigne X Paph.spicerianum)ではないかと思う。パフィオ最強健種と言われる、沖縄家庭園芸の友である。

沖縄では画像個体のように、植え替えもされず放任栽培で大株になって咲いているのをしばしば見かける。気候的には地植えにしても十分いけるはずだが、さすがに花壇に植えている人はあまりいないようだ。まあ、本土における並シュンランぐらいの感覚ではなかろうか。

洋ランマニアには見向きもされない「駄物」だが、「丈夫」という特性は園芸的にきわめて優れ物ではある。しかし植え替えなどの世話は面倒臭いという非園芸人にとっては、いつまでも枯れずに生きている鉢物など、むしろ邪魔物でしかない。シンビジウムの鉢物を、花が終わったあとも大事に世話している人はどれぐらいいるだろうか?

花壇植えで過酷な夏を灌水無しで平気で越し、ノーメンテナンスで毎年咲く、というぐらい丈夫ならまた話は別だが、ラン基準での「丈夫」は一般基準では中途半端すぎて何の意味も無い。植え替えしないと枯れるなら、花が終わった時点でとっとと枯れて目の前から消えてくれたほうがいい。

世間は「粗雑に扱ってもすぐには死なない」という、一時的耐久力以上のものは求めていない。「大事にすればこちらの愛情に応えて頑張ってくれて、共に長く生きていける」という細く長い性質は必要ではない。ブラック企業が使い捨て社員を求めるように、少しでも安い値段でどんどん使い潰せるのが「良い花」だ。求められているのは気を遣わなくてもどんどん花が咲いて3ヶ月で枯れるガーデンシクラメンであり、ちょっと気配りが必要だけれど50年生きてくれるシクラメン・ヘデリフォリウムでは無い。

良い悪いの問題ではなく、古今東西そういう価値観のほうが多数派で、疑問を呈するのは社会不適合者のみである。大量消費のメインストリームに棹さす者は流され、智に働こうとすれば角が立ち、意地を通せば窮屈だ。今に始まったことでもなく、とかくこの世は住みにくいのである。