Amitostigma’s blog

野生蘭と沖縄の植物

ジュエルオーキッドの参考書(その2)

「その1」からの続き。

 前回に紹介した専門書は、外国産ジュエルオーキッドの専門書としては本邦初。

 しかし日本産のジュエルオーキッド、ミヤマウズラの栽培ブームが本邦の園芸史に2回あった。そして、それぞれの時代で専門書が出版されている。見方によっては、現在のジュエル人気は第三次ブームと言えなくもない。

 

 第一次ブームは今から180年以上も昔、江戸時代後期まで遡る。

 ミヤマウズラの栽培ブームがおこったのは天保9年(1838年)頃。当時のマニアが斑入りなどの変異個体を「錦蘭(にしきらん)」と名付け、収集栽培した。

 当時の展示会の出品目録などを集めた小冊子が、「錦蘭品さため」(にしきらん品定め)という題名で現代まで伝わっている。

 その一部、天保9年9月5日展示会目録を引用。江戸および近在から111鉢が出品されている。

 この展示会の図録と推測される薄い本 書籍が「にしきかゞみ」(にしきかがみ=錦鑑)

下記画像出典・国立図書館サーチ:https://ndlsearch.ndl.go.jp/gallery/nature/21

 図の右上の印が変異の種類、鉢に書いてあるのが花銘、左下の文字が出品者の号、その下が出品者印、一番下の印が個体評価(無類、絶品)

 絵師に写生させて、彫師に版木を彫らせて、浮世絵師に刷らせている。いくらかかったんだよこれ。

 

 書かれた年代はよく判らないが、鴎蘭譜(かもめらんふ)という書籍も伝わっている。江戸時代にはミヤマウズラの白い花をカモメに見立てて「カモメラン」と呼んでいた模様。(ちなみにシュスランは天鵞絨蘭(ビロードラン)、これは今でも別名として通用している)

 現在はまったく別種のラン Galearis cyclocila がカモメランと呼ばれているが、「どこがカモメなのかまったく判らん」と植物学者に首をひねられている。どこかで取り違えられたまま記載されてしまったっぽい。

 参考までに他の文献も。

 

 下記は関西大学図書館所蔵文献への画像リンク。弘化2年(1845年)正月に、彦根で開催された展示会の記録。(クリックで拡大)

https://www.kansai-u.ac.jp/Museum/naniwa/kitou/image/0317_2.jpg

 出品地域は彦根に留まらず、江戸・尾州尾張)・濃州(美濃)・江州(近江)・長浜・河内・奈良・京・灘・大阪など各地に広がる。当時の交通事情を考えるととんでもない展示会である。メールどころか電話も無い時代に、参加者に連絡とって集まる手間が恐ろしい。現代人が台湾とタイと中国とアメリカとエクアドルから集合するより大変である。

 ここまで気合が入ったブームも、天保の改革天保12~14)「高値之鉢物、売買禁止」によって活動に水を差されたらしく、その後どうなったのかよく判らない。

ガーデニングバブル - 園遊舎主人のブログ

 が、同じく天保年間に流行した長生草(セッコク変異個体:現在の長生蘭)や松葉蘭(マツバラン変異個体:シダ植物)は、一部ではあるが当時の栽培品種が現存している。それ以外にも江戸時代のさまざまな植物がいわゆる「古典園芸品種」として今に伝えられている。地植え放任できる福寿草の場合は50品種ぐらい残っていて、現在も交配育種に使われている。

 江戸時代から明治維新、太平洋戦争を超えて生き延びている。世代を超えて伝えるなんてチャチなもんじゃねえ、歴史を超え時を超え、時代も戦火も超えている。ジジイ連中の「育てられる」の基準はこれである。

 だが錦蘭は当時の品種は跡形もなく消え去って、昭和時代後期に野生個体から再収集されて再興されるまで「錦蘭」という名称すら完全に忘れ去られていた。今の錦蘭はどれも新参品種、多くはバイオ増殖中に出てきた変異個体のクローンである。

(この項書きかけ。後日加筆予定)