Amitostigma’s blog

野生蘭と沖縄の植物

Flowerpot of Okinawa.

 

By N. Kobashigawa@Okinawa pref, Japan.

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沖縄本島・壷屋の永〇窯で作られた山野草鉢。口径(鍔を入れて)105㎜、内径80㎜。描いてある魚は錦鯉のような色だが、背びれが2枚あるので沖縄産海水魚のハタかもしれない。

作者はシーサー作りの名工として知られる方だが、植木鉢の作例は他に見たことがない。某園芸家が個人的に頼んで特注で作ってもらったものだそうで、いろいろと経緯を経て、現在は管理人の手元で預かっている。

壷屋は全国レベルでも屈指の窯業地で、多種多様な作品が製造されている。が、残念なことに植木鉢だけはまったくと言ってよいほど作られていない。作家さんが気まぐれに作って限定販売することがごく稀にあるが、流通数はほぼゼロに近い。観光客がふらりと店に入って販売品を見つけることはまず無いと思う。

沖縄ではそもそも山野草栽培というジャンルが未発達で、山野草展というものが存在しない。それゆえ作家物の工芸鉢をわざわざ使う理由が無く、工芸鉢の制作リクエストがほとんどないらしい。たまに見かける植木鉢も、若い作家さんが作った窓辺ガーデニング用植木鉢だったりする。壷屋で画像のような山野草鉢を見る機会はまず無いと思われる。

植木鉢は制作が少し面倒なので、作家さん達にとっては制作に気乗りのする製品ではないらしい。特注で作ってもらおうと思っても、窯元にコネが無いとなかなか難しいようだ。

 

from 'Pottery of Ryukyu Kingdom'  published by Moromi Museum in 2013.

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参考までに琉球王国時代の植木鉢。画像は「琉球の古陶集」(諸見民芸館)からの転載。

沖縄でも王国時代には植木鉢が作られていたが、見てのとおりイメージ的にはテラコッタ製のガーデニングポット。今の感覚だと安っぽく見えるが、登り窯で薪を焚いて焼きしめて作ったもので、尋常でない手間がかかっている。なにせ当時の沖縄は水甕と下働きの女性一人が交換されるような時代で、焼き物の価値自体が今とは違う。現在であっても、当時のままの製法で復元制作したらとんでもない金額になるはずだ。

ちなみに鉢の表面に張り付けてある牡丹唐草模様は、中国の北宋時代の陶磁器に源流があるらしい。高級品を示すステータスシンボルとしてさまざまな工芸品に「写し」がおこなわれたようだ。本土でも江戸時代の楽焼鉢に同類のデザインがあるが、琉球製品と似ているのは偶然の一致ではないように思う。

furaikioku.exblog.jp

琉球王国では植木鉢は贈答用の高級陶磁器で、王府から直々に窯元に指示を出して制作させていたらしい。ソテツやカクチョウラン、仏桑花(ブッソウゲ=ハイビスカス)などを植えて薩摩藩への献上品にしていた模様。1609年の薩摩藩琉球侵攻の後に、島津家久から「琉球國ヲ賜ル謝礼トシテ」徳川家康琉球産ハイビスカスを含む品々が献上されているそうな。(「家忠日記増補」)

琉球の士族階級はこういう鉢に枝ぶりの良い盆栽ソテツや、中国から輸入された栽培菊を植えて自慢しあっていたようだ。

しかし廃藩置県後は献上品としての需要が無くなり、植木鉢の制作は完全に途絶えてしまった。屋外で実用品として使用するものなので破損しやすく、士族居住地が太平洋戦争で壊滅したこともあって植木鉢の現物はほとんど残っていない。現存するものは博物館の収蔵庫に収められているか、気合の入ったコレクターの秘蔵品になっているので骨董商などでの販売流通は皆無に近い。コレクターが死去して遺族がコレクション処分、というような場合でもなければ外部に出てこないし、売りに出てきたとしても管理人の小遣い程度で購入できる金額ではないと思われる。