Amitostigma’s blog

野生蘭と沖縄の植物

マツバランの「実生」

from Okinawa island, Japan.

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沖縄本島産マツバランの「実生(みしょう)」苗。6年前に書いた記事の個体だが、あれからずいぶん大きくなった。

 マツバランは小分けにして生育を押さえると2号鉢に収まる程度の小苗に留まるし、大鉢植えにして肥料を効かせると毎年大きくなって草丈30cmを超える。画像個体はまだ変身の余地を残している。

 栽培自体は難しくないが、生育が遅くて年単位で観察しないときちんと育っているのかどうかも判らないスローペースな植物である。時間の流れを早く感じるようになった年寄りにはほどよい生長速度だが、若者だったら変化が無さすぎて嫌になると思う。シダなので花も咲かないし・・

 マツバランの変異個体は古典園芸植物「松葉蘭」として流通しているが「鳳凰柳」や「青龍角」のような、原種(青九十九(あおつくも)と呼ばれる)と識別しやすい品種ばかりではない。門外漢にはどれも同じに見えてしまって「全種をコレクションしよう!」というほどの意欲はそそられにくい。

 とは言っても園芸品種について語ると一冊の本になってしまうほど奥が深い植物ではあるし、実際に専門書が書かれてもいる。松葉蘭の怪しい世界をお知りになりたい方はネットでご検索を。国立国会図書館デジタルコレクションで江戸時代の品種図鑑「松葉蘭譜」や「松蘭譜」をご覧いただき、200年前のどの品種が今も生存しているかご確認いただくのも一興。(下は江戸東京博物館の「松葉蘭譜」画像にリンク)

http://158.199.215.21/assets/img/2015/02/b11.jpg

 でまあ画像個体に話を戻すと、この株は棚にあった野生型マツバランの胞子が飛んで、近くの鉢から勝手に生えてきた「実生」(実から生えたものではないが、マツバランの場合は慣習的にそう呼ばれる)である。

 管理人だけでなくマツバランを育てている趣味家の栽培場では、胞子が飛んで思わぬ場所から発芽してくる。「松葉蘭」を栽培している古典園芸屋の棚では観音竹やら万年青やら君子蘭やら、さまざまな古典物の鉢植えから「実生」がニョキニョキと伸びていたりする。 試しに「マツバラン 生えてきた」で画像検索してみたらアジサイとツバキとブルーベリーとアボカドとベンジャミンゴムとカポックとコルジリネ、アロエにガステリアにゲットウギボウシにシマツルボ、あらゆる植物の根本から節操なく生えてきている状況が観測された。

 ところがその一方、マツバランを一般的なシダと同じ手法で胞子蒔きしてもまったく発芽しない。

 普通のシダの場合は胞子を蒔くと、半透明のコケのような物体が生長してくる。

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 この物体は園芸家の間では一般的に「前葉体(ぜんようたい)」と呼ばれている。(前葉体とは何者か、という説明は割愛する)

 一般的なシダであれば発芽直後から光合成して自力で生きていけるので、若干の無機養分(つまり化学肥料)があれば問題なく発育する。フラスコ培養でも無糖の肥料入り寒天で育てられたりする。

 順調に大きくなるとやがて「本葉」が出てきて、普通のシダへと生長していく。(画像は勝手に生えてきたシダなので種名不詳)

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 ところがマツバランは胞子から発芽してしばらくの間は光合成能力が無く、土中に埋もれた状態で周囲にいる共生菌から栄養分をもらいながらリゾーム状の塊(配偶体=一般的なシダの前葉体に相当する)になり長期間(数年?)生長を続け、ある程度の大きさになってから初めて地上に発芽してくるという特殊な生活史を持っている。

 それゆえ東洋蘭などの実生と同様、共生菌が土中にいない場所に胞子を蒔いても新苗はまったく生えてこない。

 ちなみにほとんどの東洋蘭(熱帯シンビジウム系生活史のキンリョウヘンとヘツカランは除く)の初期実生(地下生活リゾーム=俗称ショウガ根、あるいはラン玉)は樹木共生外根菌ーー生きた樹と共生しなければ生存できない菌ーーに寄生して養分を吸収しながら生長する。それゆえ「東洋蘭と相性の良い特定種の菌を根に棲まわせている樹木」の根元に種子を蒔かなければ苗が得られない(と推測されている。正式に調査した報文はまだ無いようだが、前記の2種以外で鉢蒔き実生に成功した例は知られていない)

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 上画像はホウサイランの無菌培養リゾームだが、形状がマツバランの根茎と似ている。自然状態でも、こういう正体不明の物体が菌から栄養を吸い取りながら密かに地下で発育を続けている。

 そしてマツバランの共生菌も外根菌と同様に、緑色植物から養分をもらわなければ生きていけない絶対的生体依存菌である。

2009年09月号 (Vol.122 No.5) < Journal of Plant Research | 日本植物学会

 マツバランから分離されているのはグロムス(のグループA)と呼ばれる菌だが、要するに緑色植物からグロムス菌が養分をもらい、さらにグロムス菌からマツバラン幼体が養分をもらう「三者共生系」を成立させなければマツバランの「実生」は不可能なのだ。(余談だがリンドウ科の一部などにもグロムス依存発芽種があり、単独で鉢蒔きすると発芽しない)

 ただしマツバランの共生グロムス菌は、共生相手を厳密に選ぶ東洋蘭の共生担子菌とは違って、節操なくそのへんの緑色植物とかたっぱしから共生関係を結べるらしい。

 イネのような水生植物やアブラナ科アカザ科、特定の共生菌とだけ関係を持つ樹種(東洋蘭が依存するのはこのタイプ)などグロムスと共生する能力がない植物グループ(ラン科もそっちのほう)もあるものの、なんと陸上植物の8割はグロムス菌を根に棲まわせる能力をもつ「アーバスキュラー菌根植物」(マツバランはこっちのグループ)なのだそうだ。

 そして寄主の膨大な種類数に比して植物の根に棲んでいるグロムスの種類数のほうはむちゃくちゃ少なく、Wikipediaの記述によれば報告されているのはまだ150種程度だという。しかも植物種/菌種の組み合わせがゆるく、1種類の植物に対してさまざまなグロムスが共生能力を持っている。(マツバランからは10種類以上の多様なグロムスが分離されている)

 つまり相手を選びまくるラン科とは比べ物にならぬほどマッチングが楽である。乱交パーテ・・いや何でもないです。

 それゆえマツバランと共生できる菌はそのへんの植物の根にも普通に棲んでいる可能性があり、観測事実もその推測と矛盾しない。・・あれ? もしかして陸上植物の8割が実生床に使える感じ?(要検討。多くの植物種は菌がいなくても生育が可能なので共生菌がついていない個体もある。またグロムスは抗菌剤に弱いので薬剤散布が多い鉢だと駄目っぽい)

 ちなみにリンドウ科の半菌依存種フデリンドウとハナヤスリ類では、自生地に混生する他の植物と、菌根菌が共通である事が実際に確認されている。

https://kaken.nii.ac.jp/file/KAKENHI-PROJECT-20370031/20370031seika.pdf

 でまあマツバランの「実生」は何もしなくてもそのへんの鉢から普通に生えてくるのだが、意図的に「実生」ができないのは育種屋としてはちょっと癪に触るのである。

 菌依存性のランが普通に無菌培養できるのだから、マツバランもその気になれば無菌培養できて良い気がする。しかし実際に培養してみたという日本語報文が見つからない。マツバランと同様に菌依存・地下発芽性のハナワラビ(これは含糖培地で胞子発芽までは報文がある)、ハナヤスリ、ヒカゲノカズラなどの培養にも応用できそうなので技術開発に興味はあるのだが、年をとるともう自分でやってみる気力が湧かない。

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 マツバランの枝についた粒々が胞子の入っている胞子嚢。(正確には3つの胞子嚢が集まった胞子嚢群)これが成熟すると破れて粉のような胞子をふりまく。ランの未熟果培養と同じ手法で、裂開前に採取して中身を培養すれば良いのではないかと考えている。

https://www.journals.uchicago.edu/doi/abs/10.1086/337804?journalCode=botanicalgazette

 上記は「マツバラン胞子は硝酸塩と亜硝酸塩が含まれた培地では発芽・生育が阻害され、アンモニウムを窒素源にする必要があった」という英文報告。糖濃度0.2%(むちゃくちゃ薄いが、これは本当に適正濃度なのか?)で暗黒条件、発芽まで6ヶ月。ビン出しの記述は無い。

 ラン科の場合も菌依存度の高い北方系地生種では類似した培養特性の種類がある。そういうランの幼苗は多数の有機栄養素(アミノ酸、ビタミン、生長ホルモン類似物質など)を菌に依存していて自力では体内合成できず、酵母粉末やジャガイモなどの天然物を培地に添加しないと栄養障害になってビン出しサイズまで育てられない場合がある。

 マツバランの場合も窒素源をアミノ酸にするなど、北方ランの培養法を応用してみるのも有効かもしれない。違うかもしれないので要確認である。

 あ~~、お若い方、どなたかこの年寄りの代わりに培養してみてはくれんかのう。(他力本願)